東北学院大学

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主な収蔵品と調査研究

雄島板碑群の調査研究(宮城県松島町)(鎌倉・南北朝・室町時代)

板碑とは、板状の石材を加工・整形し、種子、造立年月日、供養の趣旨を記した文章(願文)などを刻んだ、日本中世における石造供養塔の一種である。ここでは、日本三景の一つである松島に所在する雄島の浅海底から、本学ならびに松島町瑞巌寺が共同で採集した板碑を中心に、その調査・研究活動の成果を紹介する。

中世の霊場・松島と板碑
板碑(いたび)とはなにか

板碑とは、日本中世における石造供養塔の一種である。石材を加工・整形し、種子、紀年銘、願文などを刻み、被供養者の極楽往生を祈願するものであり、13世紀前半頃から関東地方の武士団を中心に始まった仏教文化の一つと考えられている。

<用語解説>

種子(しゅじ) 諸仏など供養塔の主尊を表わす文字の一つ。梵字(サンスクリット語)。
願文 (がんもん) 造立の趣旨、祈願の意味を述べたもの。
紀年銘 (きねんめい) 板碑を造立した年月日や、被供養者の死亡日を記す。
月輪(がちりん) 清浄な心を満月にたとえたもの。種子の周囲に円形で刻み、諸仏を美しく装飾する荘厳具。
蓮座 (れんざ) 蓮台ともいう。月輪と同じ荘厳具で、諸仏の座るハスの花をかたどっている。

宮城県では、約5500基をこえる板碑が確認されている。文献史料の少ない中世の陸奥・出羽両国(現在の東北六県)において、板碑は地域の歴史を研究するための手がかりとして、大変貴重な資料・文化財といえる。

雄島(おしま)の板碑
現在の雄島
現在の雄島

日本三景に数えられる松島は、鎌倉時代以来多くの板碑が造立され、中世の霊場として知られている。その一角にある「雄島」には、現在も多くの板碑が存在しているが、平成18年(2006)から始めた調査により、島の周囲海底においても、さらに多くの板碑が落ちたまま残されていることが明らかとなった。

七海ゼミナール(日本中世史)では、「文部科学省大学院教育改革支援プログラム」の取り組みとして、松島・瑞巌寺と共同でこれを収集・調査し、平成21年(2009)年8月5日現在までに、1378点の板碑破片(完形を含む)を確認した。このうち、種子・文字が刻まれた板碑は449点で、全体の3割を超えている。

板碑の表採作業

干潮時に、島西部から南端部にできる干潟を対象に、岸2~3m範囲の泥土から、板碑をピンポールで探り手作業で拾い上げる。表採した板碑はそれぞれ順にナンバーを付け、取り上げた位置を図面に記録する。

雄島海底板碑の出土分布

雄島海底板碑の出土分布

図は、平成18年(2006)~平成20年(2008)8月1日までの調査で、雄島海底から表採した板碑の出土地点を示している。主な分布は、島の中央部から南端部にかけて集中しており、島周辺のほか、岸から3~4m離れた海中でもまとまった板碑の様子が確認できた。崩落による自然流出のほか、島からの人為的な投棄が原因と推測されるものもあった。

板碑の石材と産地

1.井内石(いないいし)

1.井内石(いないいし)

粘板岩の一種で、青黒~黒灰色の砂質頁岩。石巻市稲井町井内が産地。 白黒の縞模様は、地層が堆積した時に出来たもので、白色部分は石英質の砂である。

2.雄勝石(おがついし)

2.雄勝石(おがついし)

井内石と同様粘板岩の一種。粘土や泥が堆積したものが粘板岩化したもので、粒子が小さくかつ均一である。粘土中の炭化物が雄勝石を黒くしている。産地は石巻市雄勝町。薄く剥離する特徴を生かし、スレート瓦等に利用されている。 東京駅の屋根を葺いているのがこの雄勝石である。

板碑の整理作業
板碑の搬入と脱塩
板碑の搬入と脱塩
板碑の搬入と脱塩
板碑の搬入と脱塩

海底から引き上げられた板碑は瑞巌寺宝物館へ搬入されたのち、真水に浸され、およそ1年間、塩抜きが行われる。脱塩が済んだ板碑については、同館学芸員の指導のもとで以下の整理作業を実施している。

(1)観察表の作成

(1)観察表の作成

採集した板碑の表面観察をおこない、種子や銘文、石材の加工・彫刻技法などに注意をはらいながら、細かく記録する。

罫線・加工痕などが確認できる板碑を選別し、拓本・実測図作成へまわす。

(2)拓本の作成

(2)拓本の作成

銘文のほか、ノミによる石材の加工・調整痕などが肉眼で観察できるよう、慎重に作成する。

(3)実測図の作成

(3)実測図の作成

デジタルカメラによる画像をもとに、彫りの深さや凹凸の様子など、拓本だけでは判読が困難な石材の形状・製作技法や文字などを、図面に落とす。