東北学院大学

東北学院大学博物館

主な収蔵品と調査研究

勧請内古墳の調査研究(福島県南相馬市)(古墳時代)

本学辻ゼミナール(日本考古学)が主体となって調査を実施し、東北地方でも珍しい周辺埋葬が行われていたことを明らかにした。

古墳出土の土器や周辺埋葬に使われた壺棺を展示し、福島県浜通り北部の古墳時代前期の様相に迫る。

東北地方の前期古墳における唯一の周辺埋葬例
歓請内古墳全景写真
歓請内古墳全景写真
歓請内古墳の所在位置

歓請内古墳は福島県南相馬市小高区に所在する、古墳時代前期の四角形の古墳である。平成19年(2007)から本学歴史学科辻ゼミナール(日本考古学)が主体となって、古墳時代前期の福島県浜通り北部の様相を明らかにすることを目的に調査を開始した。現在も調査継続中である。

歓請内古墳の所在する福島県は、地理的環境から古墳の分布および古墳の様相がいくつかの地域ごとにわかれている。歓請内古墳のある南相馬市は浜通り北部に位置し、同市の原町区には国史跡である桜井古墳という古墳時代前期の大型の前方後方墳が存在する。桜井古墳は古墳時代前期において福島県浜通り北部を治めていた首長の墓と考えられている。

歓請内古墳は阿武隈高地から緩やかに東にのびる丘陵上に立地している。その丘陵の東端にあって、小高川と前川の合流地点と太平洋に面する海岸平野を見渡せる位置に築かれている。

歓請内古墳の規模と構造
調査風景写真
調査風景写真
壺棺出土状況写真
壺棺出土状況写真

小高区はこれまで古墳の発掘調査が行われてこなかった。そのため、この地域の古墳時代の様相を解明する重要な調査として注目を集めた。

測量調査、および発掘調査の結果、歓請内古墳は長軸約33m、短軸約25mの長方形で、高さ約5m、テラス(平坦面)と最大幅10.6mの周濠をもつ方墳であることが明らかとなった。墳丘は元の地形の高まりを利用し、周囲を削ってその土を盛り上げることにより築いている。歓請内古墳は福島県の古墳時代前期においては最大の方墳である。

埋葬部は平成22年(2010)より調査を行う予定である。この地域の古墳時代前期の様相を知る上で調査結果に期待が募る。

歓請内古墳の出土遺物
壺棺
壺棺
壺棺の下に割り敷かれていた土師器壺

歓請内古墳の墳丘から、底部穿孔二重口縁壺形土器の破片が多数出土している。これらは古墳の斜面および周濠内から出土する。それは墳頂平坦面に葬送儀礼のために配列されていたものが、年月の経過により壊れ、墳丘斜面に流れてきたからである。

東北地方の前期古墳では大和を中心とした他の地域の古墳と同様に、墳頂平坦面に底部穿孔壺形土器を配列する風習があった。歓請内古墳も同様の古墳祭祀を行っていた。

このほかに大型の土師器壺を棺としたもの(壺棺)が2つと、壺棺に敷かれていた土師器壺が出土している。壺棺は西辺の周濠内と南辺の墳裾に1つずつ、土師器壺の破片を人為的に割り敷いた上に置かれた状態で埋められていた。壺棺はつくりや器形から、日常用の壺を棺に転用したのではなく棺専用に作られていたと考えられる。

いずれの壺棺も出土した時には割れており、人骨や副葬品は残っていなかった。これらには歓請内古墳の主たる埋葬者に関係する幼児が葬られたものと思われる。

歓請内古墳と周辺埋葬儀礼

歓請内古墳は東北地方では珍しい、壺棺を古墳の周りに埋葬するという周辺埋葬儀礼を行っている。古墳における周辺埋葬儀礼は大和王権を中心とする西の古墳には多く見られる。しかし、東北地方では歓請内古墳と福島県本宮市の天王壇古墳で確認されているのみである。

天王壇古墳は古墳時代中期の古墳であり、円筒埴輪を棺に転用している。古墳時代前期の東北地方において周辺埋葬を行っている古墳は歓請内古墳のみである。

南相馬市原町区は国史跡である桜井古墳を筆頭に桜井古墳群が存在し、前期古墳の密集地帯である。しかし、歓請内古墳の存在する小高区は調査が進んでいないこともあり、古墳時代前期の様相については不明な点が多かった。

調査によって小高区地域を治めた古墳時代最初の首長墓である歓請内古墳が桜井古墳と同様、古墳の形に方形を採用していること、二重口縁壺形土器を配置するといった習俗を採用していることが判明した。これは桜井古墳の被葬者との政治的まとまりをもっていた可能性が高いことを示している。さらに大和の古墳にみられる周辺埋葬儀礼も行っていることから、歓請内古墳の被葬者は様々な地域とのつながりをもっていた可能性も考えられる。

福島県主要前期古墳位置図(白文字は中期古墳)
福島県主要前期古墳位置図 (白文字は中期古墳)