東北学院大学

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主な収蔵品と調査研究

大塚森古墳の調査研究(宮城県加美町)(古墳時代)

本学辻ゼミナール(日本考古学)が主体となって調査を実施し、古墳時代前期日本列島最北の古墳である大塚森古墳の様相を明らかにした。

古墳出土の土器や埋葬施設から出土した副葬品を展示し、大和王権北縁地域の様相に迫る。

大塚森古墳とその周辺
大塚森古墳とその周辺
倭国北端の前期古墳
大塚森古墳の所在地

大塚森古墳は宮城県加美町に所在する古墳時代前期( 4 世紀頃)の円形の古墳である。平成7年(1995)から平成11年(1999)にかけて、宮城県北部の古墳時代前期の様相を解明することを目的とし、本学史学科(現歴史学科)辻ゼミナール(日本考古学)が主体となり発掘調査を実施した。

古墳の所在する大崎平野は古墳時代前期において古墳分布の北辺であると同時に、北海道を中心とする続縄文文化の遺物の分布地域である。

西の古墳文化と北の続縄文文化との境界に築かれた大塚森古墳とはどのような古墳だったのだろうか。

大塚森古墳の規模と構造

測量調査、および発掘調査の結果、大塚森古墳は直径50~52m、高さ7.6~8m、二段のテラス(平坦面)と最大幅21mの周濠をもつ、東北地方でも最大級の円墳であることが明らかとなった。

墳頂平坦面および、上部の墳丘斜面とテラスから二重口縁壺型土器が出土している。墳頂平坦面に配列されていたものである。墳丘斜面には河原石が葺かれており、築造当時は大規模な濠をもつ壮大な姿の古墳であったと思われる。

大塚森古墳航空写真(近景)
大塚森古墳航空写真(近景)
大塚森古墳出土二重口縁壺
大塚森古墳出土二重口縁壺
大塚森古墳構造模式図
大塚森古墳構造模式図
大塚森古墳の埋葬施設と出土遺物
大塚森古墳埋葬部写真
大塚森古墳埋葬部写真
埋葬部出土腕飾り
埋葬部出土腕飾り

大塚森古墳の埋葬部は墳頂平坦面に存在し、王の遺体を運び込むための墓道が取りついている。

埋葬部はまず面積約6.5m×10.5m、深さ約2mの竪穴の四角い墓穴を掘り(墓壙)、その底面に白色粘土で棺を据えつける場所(粘土床)をつくる。その後木製の棺を北東方向に頭位を設定し、安置する。その後、棺を粘土でくるみ、埋葬を完了している。

棺そのものや被葬者の人骨は腐って無くなってしまったが、未盗掘であったため西棺から副葬品が出土した。青色のガラス小玉と滑石製管玉でつくられた腕飾り、表面が漆塗りされた靫、鏃の漆塗り口巻き部分である。

腕飾りは被葬者が手首に装着していたと思われるため、被葬者の手の位置が推定された。靫は頭より上の西側におかれ、弓矢の鏃の口巻き部分は棺の上にばらまかれた状態で出土した。さらに口巻きの中には鉄芯が残っていたため、人為的に先端の部分が折られたことがわかる。これは祭祀的な意味をもつ行為であった可能性が高い。

靫の副葬は全国的にも確認例が少なく、東北地方では三角縁神獣鏡を出土した福島県会津若松市の会津大塚山古墳に続く発見である。

大塚森古墳埋葬部図

大塚森古墳埋葬部図

大和王権の北縁地域を担った大塚森古墳

大塚森古墳は埋葬施設の構造が、仙台市遠見塚古墳と極めてよく似ている。遠見塚古墳は全長110mを測る仙台平野最大、東北地方第5位の大型前方後円墳である。大塚森古墳と遠見塚古墳はほぼ同時期に築かれており、両者には深いつながりがあると考えられる。

大塚森古墳の主は遠見塚古墳を築いた仙台平野の大きな勢力と密接な関係をもち、大和王権支配領域の北端の地を担った王者であったと推定される。

古墳時代前期における古墳分布の北辺
古墳時代前期における古墳分布の北辺