東北学院大学

法学部

今一番気になっていること

2014年09月17日

「法曹養成実習Ⅰ」では、タイトルのようなテーマで作文をしてもらいました。そのうちの一つを紹介します。

 今にかぎらず、小学生のときからずっと気になっていることがある。一番気になっていることとは少し違うかもしれないが、たえず考えていたことである。それは、「見る者がいなくなったとしても、世界は色をもつか」ということだ。これは誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、「空はなぜ青いのか」という問いと、似て非なるものである。この2つの問いかけは、はるか昔から存在する「自然」という偉大なものと、「人間」の認識が混在する問いであるというところは似ている。だが、何色であるかまでは気にしないというところが違う。そもそも色だって、人間がつくりだした概念であろう。
 現代社会は、多種多様な情報が飛び交うめまぐるしい社会である。政治にかぎらず、芸能やスポーツ、多くの情報が錯綜しながらも移り変わっていく。そんな忙しい今に生きているのにもかかわらず、こんなことを気にしているのかとあらためて訊かれてしまうと気恥ずかしさをおぼえる。しかし、こんな忙しない世の中だからこそ、絶対に答えが出ないような普遍的な問いかけに思考をめぐらせたくなるのである。
 これを考える前に、まず「見る者」についてふれておきたいと思う。視覚を有しているのは、なにもヒトだけではない。程度のちがいはあるだろうが、脊椎動物を中心とする多くの生き物は、この世界を各自の視点からその手中に収めていることだろう。そのなかでも色彩を甘受することができる生き物を、ここでは「見る者」としている。
 「見る者がいなくなったとしても、世界は色をもつか」という疑問は、自発的に抱いたものではない。はじまりは野矢茂樹の『哲学の謎』の一節にある。「地球上から一切の生物が絶滅したとするね。」から始まる2人のやりとりは、当時小学生であった私の目にも新鮮なものに映った。そこでは色をもつものの代表として夕焼けがとりあげられている。とても短い文章だが、私のこころには色濃く残った。
 人間中心主義なわけではないが、ややこしくなるので先に述べた「見る者」を、ひとまずヒトとして考えてみる。そこで、ヒトが色を認識するために必要となるものは何か。高校生のときに生物の授業で人間の瞳の構造を学んだ人もいるだろうが、ここで虹彩や錐体細胞などというものをひっぱり出すつもりはない。色を認識するために必要なのは、まず何よりも「色」という言葉ではないだろうか。色を色として認識するのは、この地球上に存在する生命体では人間だけである。つまり、赤や青、黄色や緑をそれとして見ることができるのは人間のみとなる。言葉でものの輪郭を切り取る我々が世界からいなくなったとき、はたして世界に色は残っているのだろうか。
 「見る者がいなくなったとしても、世界は色をもつか」、この問いはこう言い換えられる。「色を認識できる者がいなくなったとしても、世界は色をもつか」。少なくとも今の私は、色というものはなくなると思っている。だが科学的な視点からみると、そうではないのかもしれない。問いの答えはあったとしても、誰にも確かめようのないことである。それでも、ふとした瞬間気にせずにはいられなくなってくる。色、認識、言葉、まだまだ考えることはありそうだ。

1年M.T.