東北学院大学

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経営学部「おもてなしの経営学」③(最終回) 鳴子中山平温泉 名湯秘湯 うなぎ湯の宿「琢琇」佐々木久子 女将

2011年12月01日

 2011年11月24日の経営学部「おもてなしの経営学」は、鳴子 中山平温泉「琢琇」佐々木久子女将にご講義を頂きました。

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うなぎ湯の宿「琢琇」佐々木久子 女将

(講義要約)

 鳴子 中山平温泉は、県北の山間部に位置していることから東日本大震災による津波の被害は免れましたが、本震および余震で大きな揺れに見舞われました。ちょうど、私は、宿泊客のお迎えのために玄関前に立っておりましたが、余りの揺れの大きさに転倒してしまい、なかなか痛みがひかないため病院を受診したところ脊髄圧迫骨折と診断されてしまいました。
 建物への被害ですが、当館は木造平屋で古い建物ですが、木造の建物には全く被害が出ず、日本家屋の強さをあらためて実感いたしました。かたや、コンクリートでがっちり固められた自慢の混浴大浴場に被害が出てしまいました。

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建物の様子

 震災直後の対応については、前日からのお客さまは既にチェックアウトしており、また当日のお客さまもご到着される前であったことから、避難誘導などに追われることはありませんでした。ただし、夜中に当日宿泊予定の2名のお客さまがご到着になりましたので、ロウソクの明かりのなかで食事と宿泊をしてもらいました。幸い、私どもの旅館はプロパンガスを使用していたので直ぐに復旧し調理ができるようになりました。また旅館なので食材も沢山ストックされておりました。社員で雪の冷蔵庫を急遽作り、そこに食材を保管いたしました。水は、雪を溶かして使えましたし、その後、井戸の湧き水が使えることも分かりました。温泉も大浴場以外は使用できましたので、温泉に入って暖をとり、疲れた体を休めることもできました。しばらくすると温泉に入りたいというお客さまが何人もお越しになられたので、無料で温泉をお使いいただきました。温泉はまさに自然の恵みであり、非常時に旅館だけで独占するのは良くないと考え、無料開放いたしました。
 その後、鳴子地区が南三陸町の避難者受け入れ場所に指定されました。ただし、70歳以上の高齢者だけが旅館に宿泊でき、それ以外の方は体育館などでの避難生活を強いられました。当館では、別館を利用して高齢者の方々を受け入れました。皆さん、ゴミ袋2枚に毛布や服を詰めて当館へと避難してこられましたが、体育館での避難生活の過酷さを聞かされ心が痛みました。当館も停電により暖房が使えなかったので湯たんぽを新たに70個購入して暖を確保するなど、できる範囲内での最善のおもてなしに心を砕きました。また食事も豪華なものではなく家庭料理の延長で1日3食を提供してきましたが、高齢者の皆さんは、1つ残らず食べてくれ、いつも感謝の言葉をかけてくれ、かえって我われの方が勇気づけられました。

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ORAGA鳴子の熱帯植物園

 また避難者のもう1つの心の癒しとなったのが農作業でした。当館に併設する植物園「ORAGA鳴子の熱帯植物園」の一部を避難者の方々の畑として提供しました。さらに、植物園には以前から作業場として障がい者の方々に通ってきていただいておりましたが、その障がい者の方々と避難してきた高齢者の方々に交流が生まれました。休み時間に、避難者の漁師の方が海にまつわる神話などを語ると、障がい者の方々が目を輝かせてその話に聞き入っておりました。こうした交流やおもてなしを通じて、避難者の方々にも徐々に笑顔が戻ってくるようになりました。もちろん、避難者の受け入れは、ここでお話したような良いことばかりではなく、沢山の苦労や問題があり、結果として従業員にも多大な迷惑をかけることになってしまいました。女将として、反省すべきことも沢山ございます。
 現在は原発事故の風評などもあり、とりわけ関東圏からのお客様が例年の6割程度にとどまっております。しかし、私は、いずれそれらのお客様も宮城そして当館に戻ってきてくれ、これまで以上に旅館が賑わうことを強く信じております。

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ORAGA鳴子の熱帯植物園の畑