東北学院大学

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学都仙台コンソーシアム・サテライトキャンパス公開講座 千葉教授講義

2018年01月31日

 在仙の大学と仙台市との連携により、大学間における単位互換の制度の実施や、市民開放・公開講座の実施などを行うことを目的に設置された共同サテライトキャンパス。その後、平成18年9月に学都仙台コンソーシアムが設立されたことにより、サテライトキャンパスがスタートしました。
 サテライトキャンパスとは、学生のみならず、社会人や一般市民の受講生のために、大学構内とは別の場所に設けられた教室のことで、複数校による実施は全国的にも珍しく、東北では初の事業として現在も継続されています。
 公開講座では、仙台の都市としての個性、魅力の多彩な学問分野の成果によって発信する連携講座「講座仙台学」を実施しています。共通のテーマをもとに学都仙台コンソーシアム加盟の各大学がリレー方式で講座を開講するもので、今年度は「仙台の過去・現在・未来」をテーマに実施されています。
 1月20日は本学経済学部の千葉昭彦教授が『仙台都市圏の住宅地はなぜ北を中心に拡大したのか? ―仙台都市圏での居住地変化の歴史①―』と題して講演。70名ほどの参加者が千葉教授の話に耳を傾けました。

・仙台都市圏での大規模宅地開発は1950年代に東西南北で公的主体によって着手されたが、その後は東部と西部では地形的制約や当時の交通条件、土地利用状況などから積極的に開発行為は展開しなかった。
・南部は八木山で活発な展開がみられたものの、高度経済成長期終了時には開発対象地もほとんど消滅した。そして高度成長期の不足する宅地・住宅への対応として名取ニュータウンの造成がはじめられたが、これは当初計画の8分の1程度で事業が終了している。
・と言うのも、造成開始後、対象地とその周辺で多くの遺跡分布が確認されたためであった。他方、現在の泉区を中心とする北部では山林原野が広がり、地価が比較的安価であったこと、広大な対象地に対して地権者が少数であったので交渉しやすかったこと、法的制約が少なかったことなどから民間開発業者の大規模宅地開発の対象地になりやすかった。
・具体的には南光台、旭ヶ丘などの開発から始まるが、特にインパクトが大きかったのは三菱地所によるパークタウンの造成になる。
・これ以降、北部のみならず、仙台都市圏全体での開発地での諸施設等の整備状況が大きく変化した。

 話のなかには、ほかにも明治時代に多くの都市で鉄道と駅が敬遠された時期の仙台駅誕生や大学農学部は街はずれに設置されたことなどもエピソードとして盛り込まれ、受講者は時に頷き、時に苦笑しながら聞き入っていました。今回の『仙台都市圏での居住地変化の歴史①』に続き、『②』が楽しみだという声も多く聞かれました。

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