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東北学院大学研究ブランディング事業公開講演会「ポーランドのユネスコ世界遺産:ルター派教会 ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会堂」開催レポート

2018年06月11日

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 東北学院大学研究ブランディング事業公開講演会「ポーランドのユネスコ世界遺産:ル180531-3_2.jpgター派教会 ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会堂」が5月26日午後1時より本学土樋キャンパス8号館5階押川記念ホールにおいて開催されました。
 会場ロビーには、ポーランド共和国大使館とポーランド広報文化センターのご厚意によるポーランドのユネスコ世界遺産を紹介180531-3_3.jpgする19枚のパネルが展示されました。2001年にユネスコの世界遺産として認定されたヤヴォルとシフィドニツァの平和教会堂は、ヨーロッパ最大の木造の教会堂です。
 講師のヴァルデマール・アッフェルト(PhD Waldemar AFFELT)氏はポーランド共和国のグダンスク工科大学土木環境工学部上級講師であり、本学の客員教員として来日されました。今年度前期の半年間、授業と公開講座を担当します。
 アッフェルト氏は、ユネスコの諮問機関であるICOMOS(国際記念物遺跡会議)の委員として長年文化財保護に携わっておられ、わかりやすい英語で解説しながら、あうんの呼吸で鐸木教授が通訳をし、数多くのスライド資料が上映されました。

 第1部は今年、独立100周年を迎えたポーランド共和国の政治的な歴史から始まり、18世紀末にプロシアとロシアとオーストリアに分断されてから123年後、ふたたびポーランド語が公用語となり、1918年には摂政会により芸術文化を保護する最初の法律が宣言されました。「今日、仙台というヨーロッパから離れた地において、ポーランドの意味のある遺産についてお話しできることは喜びであり、名誉です」と力強く話されました。
 第2部の「ポーランドにおける記念物保護の法律システム」では、1997年制定のポーランド共和国憲法180531-3_4.jpgに記された文化遺産についての序文に触れ、先祖たちの多大なる犠牲の上に独立があり、千年の文化遺産の中から価値あるものを未来に遺すという文があることを紹介されました。保護すべき対象の定義から、保護の方法、保護法の決議の歴史を解説。ユネスコや国連、欧州評議会の文化遺産の保護活動への積極的参加を紹介。
 次に第3部で「宗教革命以降のヨーロッパ:三十年戦争」は、1517年のルターによる宗教改革がシレジア地方にも伝わり、さまざまな影響を受けながらも、改革と阻止の軋轢から1618年にプロテスタントの反乱をきっかけに三十年戦争が勃発した経緯を解説。欧州中を巻き込む悲惨な宗教戦争が1648年にようやく和議に至り、平和調印された歴史を辿りました。三十年戦争が終結した年にハプスブルグ帝国の皇帝によって建設が許可された3つのルター派の教会堂。その時に城壁の外に建設すること、恒常的な石や煉瓦の建材で建設しないこと、尖塔をつけないこという制約がつけられ、セビッシュのアルベルトがバロック様式を基本として建築したという流れを紹介しました。

 いよいよ第4部「ヤヴォルの聖霊の平和教会」へ。三十年戦争後のウェストファリア条約に従う第2の平和教会として、3つの身廊と3面の内陣をもち、その地方の親方大工アンドレス・ガンバーによって1655年に完成。南側の鐘楼は1707年に建増され、二つの世界大戦を乗り越えて現存しています。
 建築内部の格間天井は美しく彩色が施され、身廊の東側には内陣(聖歌隊席)が加えられています。ギャラリーには画家ゲオルグ・フレーゲルの工房から派遣された画家たちの手による143枚の絵画が飾られています。説教壇や祭壇の彫刻・絵画も旧約と新約の主題を巧みに表しています。
 180531-3_5.jpg続く第5部「シフィドニツァの三位一体の平和」。三十年戦争でシフィドニツァが荒廃し、教会堂の建設がままならないまま、なんとか建設許可を得て、小さな小屋からスタートしました。まず牧師館が1645年に完成し、礎石が置かれたのは1656年。翼楼が付加されたギリシア十字形を基本デザインとして、広さは170㎡、天井は15mの高さで二層のギャラリーが周りを取り囲む形式。ルター派の教徒が増えるに従い、教会堂が手狭になったために、中二階のギャラリーが増築されました。18世紀初頭までは宗教的に安定していましたが、1756年からの7年戦争でまたしても惨禍に巻き込まれ、その後も時代の荒波にもまれました。

 そして、第6部は最終章の「結論」。ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会は同じシレジア地方にあって35kmの距離ですが、異なる郡に属しています。日常の業務の交流は行われていませんが、歴史的遺産の保護は二人の司祭に任されています。現在ではEUやポーランド文化国民遺産省からの資金援助により、活発な保護活動に結実。1989年11月にドイツのヘルムート・コール首相とポーランドのタデウシュ・マゾヴィエツキ首相がここで会合し、平和を祈ったということです。これからも我々に平和がありますように、と結び、情熱的な語りの講演が終了しました。
 その後の質疑応答では来場者から感想や質問が活発に寄せられ、遠いポーランドを身近に感じながら閉会を迎えました。

〇ポーランドにおけるユネスコ世界遺産の文化財保護の現状 ご案内はこちら

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