この震災で被災された方々に対して、大学が何をなすことができるのか。この問いを行動の種々の局面において貫きながら、災害ボランティアステーションを運営スタッフとともに支えてきました。多くの問題を抱え始めています。
問題の解決のために、運営スタッフの学生を含め、参加した教職員全体で夜遅くまで「打ち合わせ会議」を行い、組織を立ち上げる際の自然発生的な合議制を実践してきました。しかし組織への登録者が増大するにつれ、また、この組織への支援要請の団体が増えるにつれ、自然発生的な合議制では支えきれない問題も発生して参ります。ボランティア活動を運営する際に必然的にかかってくる費用、ボランティア活動を支えていくスタッフのオーバーワーク、派遣先と派遣学生をマッチングする運営スタッフの少なさ、外部から要請されてくる協力の過度な期待、仮の宿りとして発足したステーション組織と既存組織との調整のずれなど、数え上げればきりがないほどです。
問題を解決するためには、自然発生的な合議制ではなく、専門のスタッフを含めた公的な仕方の組織化が必要だと思います。このために努力しましょう。
もう一つ別の問題。GWまでは各地域からボランティアが大量に被災地に集まるでしょう。しかし、社会が徐々に日常に復し大学が定常の状態に復帰すれば、被災地から多くのボランティアが去っていきます。被災地が取り残されるのは必然的です。大学は何をなすことができるのか、この問いを前にすると、すべてをなすことができない時に何を選びなすべきなのか、考えざるを得ません。気仙沼という遠隔の地に足を運び被災を見ました。仙台から片道3時間あまりかかります。日帰りでボランティアできる地域ではありません。恒常的に毎週足を運びうる地域でもありません。一つの大学という組織だけで支えうる地域ではありません。でも支援を必要としています。大学の一学科がフィールドワークでお世話になりました。人情としても支援をしたい気持ちでいます。大学は何をなすことができるでしょうか。
もう一つ別の問題。東北学院大学は災害地のただ中にある被災校です。修復にかなりの時間と費用がかかっています。そんな中、ステーション立ち上げと同時に多くの大学が支援を申し出てくれました。嬉しく思います。キリスト教系の大学として支援の申し出をいただいた大学は、直接間接を問わずにいえば、たくさんの大学にのぼります。被災学生を受け入れてくださる申し出をいただいた大学もありました。東京圏からも関西圏からも多くの大学が東北学院大学と一緒に被災地への支援に入りたいとの申し出をいただいています。現に青山学院大学、関西学院大学、明治学院大学から、支援物資を始め、先遣隊としての教員派遣、さらに学生ボランティアを派遣され、本学の学生と一緒の被災地支援に出向いてくださっています。被災校でありながら、あるいは被災校であるがゆえに、震災に立ち向かって、大学がなにをなすことができるか、を問い続けていかねばなりません。
何よりもまず支援ですが、考えるべきは支援ばかりではありません。「災害」とはいったい何なのか、「災害」によって喪われた生活とはいったい何だったのか、人と人とはどうやってつながり合っていくのか、生活の単位となる集落や村、町とは何だったのか。震災が問いかけた問題は、こういう基本的な問題でした。一つの大学で支援し考えうることには限りがあります。多くの大学がより集って、知恵を集め、震災をきっかけに生まれたこうした問題の数々に、共同して立ち向かうことが要請されていると思います。どこまで支えることができるかわかりません。しかし少しでも前に進んでいくことができるよう、小さな努力を積み重ねたいと思っています。
(学長室室長 佐々木俊三)