南三陸の避難所をめぐって

 5月4日に、本学の山崎冬太准教授(専門フランス文学)が入り込まれている雄勝町民の避難所、飯野川第一小学校の体育館を訪問しました。避難所の子どもたちに遊び支援を目的とするボランティアでしたが、あいにく子どもたちが不在、別の目的でもあった避難所の運営方法と高齢者のお話の聞き取りを行いました。

 87歳になる老人のお話。高齢の奥様と二人暮らしでしたが、足が悪く、あまり身動きのできない状況でした。ご長男は貨物船の船員をしていらして、4ヶ月勤務40日休日の勤務サイクルだったそうです。3月11日の朝がその勤務開けの日で、帰宅されていました。その途端の震災。お父様、お母様をただちに自動車に乗せ、高台に避難、命だけは無事に助かりました。家はきれいさっぱり流されたそうです。11日にご長男が勤務開けで帰宅されなければ、助からなかったわけで、老人は「息子はわしの神様じゃ」と話しておられました。「生かしてもらった、もう一度生き直してみる」との強いお言葉が聞けました。被災された方々に皆、「九死に一生」の物語がありますが、それは同時に、その裏に「九生に一死」の語られぬ沈黙があったわけです。このことを思うと、この偶然をどう捉えればよいのか、哀悼ということの意味を思い、感懐に耽りました。

 避難所には一日2回の食事が配給されますが、残したおにぎりを後で食べるとまずいとこぼされます。生活の不足はと問いかけると、直ちに「暖かい食事、暖め調理できる道具、野菜やみそ汁」と言われました。体育館で電源が不足しており、100人近い方がお茶を飲まれようとするとすぐなくなり、電気ポットで沸かすまでの時間がかなり必要とのことでした。全国のメディアに注目されている避難所のせいで、支援物資はあり余るほどくるけれども、食事を温めるなどのきめ細かいサービスはできないとのことでした。

 小学校に集められた全国からの使い古しの文房具を他の避難所に持っていっていただきたいと、小学校の教頭先生から申し出られ、車に積んで、次の避難所である登米町公民館に移動しました。ここは、南三陸の方々が避難されている場所でした。そこで文房具を市場のようにして並べたところ、たくさんの方々が集まり、飛ぶように捌けました。この避難所の責任者の方は、30人ほどの子供たちの勉強や遊びの面倒を見て頂きたいと、申し出をされ、土曜日曜に対応したいと、お約束をいたしました。

 残された文房具をもう一つの避難所へと要請され、柳津の津山若者総合体育館に移動しました。ここにも南三陸の方々が200人ほど避難されています。責任者の方にお話を伺いました。何が生活に不足でしょうかと問い尋ねたところ、高齢者の女性向けの春から夏にかけての洋服が足りないとのことでした。食事は十分足りているとのことです。被災が寒い時期だったゆえ、冬の防寒の服装は十分にまかなえてあるが、これから迎える春と夏の衣料がなく、困っているとのこと。当たり前のことですが、避難所により不足しているものは同じではなく、また時期によって不足するものも異なってくることを知らされました。ここでも使い古しの文房具は飛ぶように捌けました。何度も感謝され、恐縮しつつ、避難所を後にしました。

 連休中のことゆえ、避難所には日本全国からボランティアの方々が集まっておられます。ですが、それでも石巻以北はやはりボランティア過疎地だとの印象を持ちました。石巻までは道路が渋滞になるほどの混雑ぶりです。ですが、それ以北については、かなり車は移動しやすかったのです。この連休が明ける5月9日以降には、多くのボランティアが帰路につかれ、被災者の方々はおそらく取り残されていく印象を抱かれるに違いないと推察いたします。細々とした継続的支援の輪を考えなければと思いました。

(学長室長 佐々木俊三)

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