文語訳改訳原稿 創世記 年代不明

資料名

文語訳改訳原稿 創世記 年代不明

解説

文語訳聖書が出版されて以来、新約聖書は改訂されましが、旧約聖書は長らくそのままでした。旧約の改訂も望まれているなか、1931年秋に開かれた基督教連盟総会において改訳問題が取り上げられ、改訳に関して各教派の指導者40 名に意見を求めました。しかし、改訳事業は思うように進まず、ようやく1941 年7 月になり、聖書協会の理事会において改訂作業が本格化される動きとなります。同年、8 月に関東学院で旧約学者を招き、意見を交換し、翌1942 年「旧約聖書改訳中央委員会」(委員長都留仙次)を組織し、20 名近くの訳者を決めました。

訳出方法としては、訳稿提出期を四期(第一期は1942 年7 月から12 月)とし、1944 年6 月をもって訳了とする予定でした。しかし、戦時下の状況で、聖書協会を取り巻く事態は悪化する一方でした。そのなかでも訳業は続けられましたが、戦災により翻訳のための重要な文献や参考文献が消失します。しかし、幸いなことに提出された原稿は戦火を逃れました。

戦後、文語の改訳に関する諸問題に関して各方面からの意見を聞いた際、改訳の文体を口語体とする意見が六割、文語体にする方がよいという意見が四割でした。しかし、すぐに口語訳に移ること容易ではなく、そのまま文語訳改訳作業は継続します。訳者の一人である手塚儀一郎(1886-1967)によれば、委員会は毎週、木曜と土曜に青山学院の図書館の一室に集まり、改訂作業に邁進していました。結果的にこの改訳原稿の一部である『ヨブ記』(1950 年)と『詩編』(1951 年)が出版されましたが、他の書はいずれも出版されず、その代わりとして口語訳聖書が出版されます。

資料は未発表の「創世記」の原稿です。この資料は手塚儀一郎の書類のなかに含まれていましたが、訳者が手塚かは定かではありません。原稿は「日本ルーテル神學専門學校原稿用紙」に手書きで記されています。