2025年度9月期卒業式式辞
9月期卒業生の皆さん。ご卒業おめでとうございます。この日を心待ちにされていた保護者の皆様のお喜びはいかばかりかと存じます。東北学院大学を代表し、心よりお祝い申し上げます。
さて、本日をもって東北学院大学を卒業する皆さんに、東北学院のスクールモットーであるLIFE LIGHT LOVEの中から、LOVE愛についてお話ししたいと思います。これから皆さんが生きていくうえで、愛ほど大切なものはありません。なぜなら、男女、夫婦の愛のみならず、親子、家族、友人、仕事、地域、故郷、祖国、趣味、ペット、等々に至るまで、われわれは愛を抱き、愛に支えられています。愛があるからこそ、自分のことや、自分の利益だけ求めるのではなく、耐え忍んで、続けていける。助け合い、慰め合い、励まし合い、希望をもって、よき未来を築いていける、そのような力を育み、成長を導くもの、それが愛なのです。もし、愛がなくなれば、生き甲斐や成長は望めず、「愛憎関係」という言葉がありますが、愛は憎しみに転じ、喪失感のみならず、悩み、苦しみ、失望、そして怒りが募り、離婚、離別、離職等々により、すべてが重荷に変わります。それどころか、ハラスメント、暴力や戦争によって相手の存在を否定し、相手を殺害するのも厭わない、そのような罪を平気で犯すのが、残念ながら、人間なのです。
今日から皆さんは、社会に出ていくわけですが、職場や家庭などで、本当に厳しい思いをする局面をいく度か経験すると思います。どんなに上手く行っているようでも、長い人生には2度3度、耐えられないような辛い時が必ず襲ってくるものなのです。そのような時、私はクリスチャンなものですから、神様によって自分の信仰が試されていると考えるようにしています。相手や自分が属している組織の愚痴を言って、斜に構えるのではなく、なるべくその困難に向き合うようにしてきました。困難と向き合う際の私の考えはこうです。十字架にかかり血を流し、苦しみに耐え、処刑されたイエス・キリストのあの苦しみに比べたら、私が負っている苦しみは大したものではない。キリスト教の信仰が、歯を食いしばって我慢し、自分を回復できないほどにボロボロになることを回避してきたのです。なぜなら、自分自身が自分を愛する自己愛によって、自分を責め、自分だけが苦しむのではなく、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、・・・御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙一4:10)と聖書に記されているあのイエス・キリストの愛を信じることによって、絶望を味わうことなく、自分が守られてきたからです。
ところで、皆さんはこれから社会に出るわけですが、東北学院大学の卒業生の半数以上は故郷である東北に残ります。皆さんの中には、関東圏、中京圏、関西圏に就職の都合で出ていく人もいますが、いずれ東北に戻ってくる人もいます。その意味では、皆さんは多くの先輩同様、故郷である東北を先導する役割を担うべき存在です。そのような皆さんに期待されているのは愛と奉仕のリーダーシップなのです。
愛と奉仕のリーダーシップは、サーバント・リーダーシップといって、1970年にアメリカのクエーカー教徒の実業家によって定式化されました。サーバント・リーダーシップとは、サーバントservantは仕える者、僕です。リーダーleaderは指導者です。直訳すると「僕の指導者」となり、一見、矛盾した言葉遣いのように思えますが、決して矛盾していないのです。サーバント・リーダーシップとは、下手に出て召使のように振る舞うことでは決してありません。何でもいいから相手に従うという事でもないのです。ミッション(使命)の名の下に奉仕者となるということなのです。ミッションがなければ、サーバント・リーダーシップとは言えません。あるミッション、たとえば、自分が好きで選んだ職業を全うする、自分が勤務する会社の売り上げを伸ばす、自分が住む地域に賑わいを作り、住民が幸せに暮らせるようにする等、それぞれのミッションの下に、先ず相手に奉仕し、その後、相手を導くという実践的な哲学がなければ、サーバント・リーダーシップとはいえません。つまり、具体的なミッションを掲げ、従うフォロワーを奉仕する(サポート)するのが、サーバント・リーダーシップです。
大切なのは、イエス・キリストこそ、サーバント・リーダーの代表であるということです。リーダーシップとは、とてもシンプルな現象です。信じてついて行きたいと思える人に、フォロワーたちが喜んでついて行く状態がリーダーシップという社会現象であり、そのように信じられる人に備わっている資質がリーダーシップです。
サーバント・リーダーシップにおける究極の理想は、イエス・キリストです。イエスは神の真理を広めるというミッションの下、易しい譬え話を説いたり、心身が病んだ人を癒したりして弟子や信徒を導いていきました。同様に、ミッション実現のために部下に丁寧な指導やケアなどをしながら導くのが、職場や組織におけるサーバント・リーダーシップと言えるでしょう。
聖書には、サーバント・リーダーシップを思わせる言葉がいくつもあります。「人の子は、仕えられるためにではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコによる福音書10:45)。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、あなたがたの中で頭になりたい者は、皆の僕になりなさい。」(マタイによる福音書20:26-27)
愛を示すサーバント・リーダーシップは、それぞれのスタイルをもつリーダーの深層にある基本哲学です。表面的にはトップダウンのように見えても、本音においてはサーバント・リーダーという人もいます。また民主的に振る舞っていて、みんなの意見を聞いているようですが、ただ聞いているだけで、何をするのかという具体的なミッションをもたないために、サーバント・リーダーとはいえない人も多く見られます。サーバント・リーダーシップとは、単なるボトムアップではなく、ミッションを掲げて、人や組織を動かす力なのです。
さあ、皆さんは専門の学問を修め、キリスト教についても学んだ東北学院大学をいよいよ卒業します。苦しい時、また他者と共に何かを創り出すとき、入学式でもらった聖書に繰り返し立ち帰り、自分を見つめ直し、自分の人生に与えられた課題を担い続けていってください。創立以来139年間、東北学院はLIFE LIGHT LOVEというミッションを掲げ、仙台市の真ん中に建ち続けています。苦しい時、嬉しい時に折に触れて母校を訪ね、礼拝に出席して自分を振り返ってみるのもいいかもしれません。皆さんの輝ける前途をお祈りするとともにお祝いの言葉とさせていただきます。
2025年9月30日
東北学院大学 学長 大西 晴樹