東北学院大学

新着情報

学校法人東北学院 創立125周年 創立記念式(取材のお願い)

2011年05月06日

 東北学院が創立されたのは今から125年前。キリスト教伝道者の押川方義と宣教師のウィリアム・E・ホーイにより、「仙台神学校」が開設された1886(明治19)年にさかのぼります。同年5月、新しい知識を求めて集まった6名の伝道師志願者を学生として、木町通と北六番町角の借家で開かれた私塾。それが東北学院の歴史的な第一歩となる「仙台神学校」の始まりです。1891(明治24)年には「東北学院」と改称され、伝道献身者以外にも普通・高等教育を施すようになりました。
 創立から125年、東北学院では、これまでに約16万人の卒業生を世に送り出し、社会の様々な場面で評価を得ています。東北学院大学の卒業生は信頼できる―――まさにこの一言こそが、新たな可能性を切り拓く原動力となっているのです。
 キリスト教の教えに基づく建学の精神は、揺るぐことのない永遠(とわ)なる想いとして、今なお多くの子弟たちに継承されています。

 つきましては、来る5月14日(土)、「東北学院大学 創立125周年記念式典」が下記の次第により、挙行されます。
創立125周年の記念すべき本年、ぜひマスコミ各社の皆さまの取材をお願いいたします。

*なお、記事・取材の参考として 別添のプレスキットを活用いただければと思います。

 

プレスキット

5月13日(金)

9:30-12:00
 3校祖墓地清掃 20名ほどの職員による北山霊園の清掃
14:00-15:00
 礼拝堂式場設営
15:00-17:00
 控室設営

5月14日(土)

8:30-  記念感謝祈祷会 8号館3階第1会議室(大学土樋キャンパス)
10:00- 創立記念式 6号館1階601番教室
     (大学土樋キャンパス)
11:30- 校祖墓前礼拝 北山墓地(仙台市青葉区北山一丁目)

以上

 

【概 要】

東北学院建学の精神
 東北学院の3校祖、押川方義、W.E.ホーイ、D.B.シュネーダーは、東北学院の建学の精神を、宗教改革の「福音主義キリスト教」の信仰に基づく「個人の尊厳の重視と人格の完成」の教育にあるとした。
 その教育は、聖書の示す神に対する畏敬の念とイエス・キリストにならう隣人への愛の精神を培い、文化の発展と福祉に貢献する人材の育成を目指すものである。

1886年、仙台神学校を開校
新しい知識を求める青年たちが集まって

 東北学院の創立は、私塾「仙台神学校」が開設された1886年にさかのぼります。
 19世紀はキリスト教の各教派が競うようにアジア・アフリカに宣教師を派遣し、伝道活動を開始した時代。1879年にはドイツ改革派教会から日本へ最初の宣教師が派遣され、東京を中心にキリスト教の伝道が始まりました。そして1885年12月、教派三人目の宣教師としてW.E.ホーイが来日します。
 一方、このころすでに日本にもプロテスタントのキリスト教が根を下ろし始めていました。横浜、熊本、札幌などに有力な伝道の拠点が形成され、日本のキリスト教伝道を担う人材が多数生み出されます。その一人が、旧伊予松山藩士の押川方義です。押川は1872年、キリスト教が未だ禁令のもとにある中で洗礼を受け、日本で最初のプロテスタント教会の一員となっています。その押川が活動の拠点を東北に移したのは1880年のこと。そして、押川が仙台を中心に熱心な伝道を続けていた時に、先述の宣教師・ホーイが来日するのです。かねて宣教師の来援を願っていた押川は来日したばかりのホーイと出会い、協力の約束を取りつけます。アメリカからやってきたホーイのもとには新しい知識を求める青年が集まりました。そして1886年5月、6名の伝道者志願者を学生として、木町通りと北六番丁角の借家で私塾が開かれます。東北学院の第一歩となる「仙台神学校」の誕生です。
 また、この年二人の婦人宣教師が仙台に着任し、押川やホーイらの協力によって設立されたのが、仙台で最初の女子教育機関である宮城女学院――現在の宮城学院です。
 翌1887年末には、D.B.シュネーダー夫妻が来日。ここに、東北学院の「三校祖」と呼ばれる押川、ホーイ、シュネーダーの三人が顔を合わせました。

東北学院の礎を築いた3校祖

110506-3-01.jpg
初代院長(1850~1928) 押川方義
松山藩士橋本家の三男として生まれ、押川家に入る。横浜英学校でキリスト教に触れ1872(明治5)年横浜海岸教会にてバラより受洗。日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会を組織する。1886年、ホーイとともに仙台神学校を創設。5年後(1891年)に東北学院と改称する。翌年初代院長に就任し、1901年に辞任。以後も東北学院顧問として終生関わりを持つ。

110506-3-02.jpg
初代副院長(1858~1927) W.E.ホーイ
アメリカ・ドイツ改革派教会宣教師。米国ランカスター神学校卒。1885(明治l8)年来日する。押川らと共に翌年、仙台神学校、宮城女学校(宮城学院)を創立。l892年東北学院副院長に就任。1899年学院を辞し、中国湖南省で伝道を開始する。

110506-3-03.jpg
二代院長(1857~1938) D.B.シュネーダー
アメリカ・ドイツ改革派教会宣教師。米国ランカスター神学校卒。 1887(明治20)年来日。翌年、仙台に着任し、創立されたばかりの仙台神学校教授として押川、ホーイを助ける。 1901年には第二代院長に就任。35年におよぶ在職中、東北学院を私塾的存在から中学部、高等学部、神学部と整った学制のキリスト教教育機関として発展成長させた。東北学院中興の祖。

赤れんがの校舎がシンボル
島崎藤村が作文教師として着任
110506-3-04.jpg

仙台神学校開校から5年後の1891年9月、南町通りに赤れんが造りの校舎が完成。これを機に校名を「東北学院」と改称、普通科を設置した。

 1891年、仙台神学校は東北学院と改称され、伝道献身者以外にも普通・高等教育を施すようになります。次々と教育制度を整えながら、南町通りの校地には赤れんが造りの校舎が新築されました。新進の詩人・島崎藤村が作文教師として着任したのもこの頃のことです。
 東北伝道に力を尽くし、東北学院の礎を築いた押川とホーイが仙台を離れると、シュネーダーが第二代院長に就任し、東北学院発展の基盤をつくる学制刷新を次々と実行します。
 1905年には東二番丁に普通科校舎が完成し、翌年には寄宿舎も落成。東北学院の母体とも言うべき仙台教会は1901年秋に壮麗な新会堂を建設し、東北伝道の中心的役割を果たします。
 そんな矢先の1919年、仙台は空前の大火に襲われ、中学部の校舎と寄宿舎が全焼してしまいました。悲嘆の中、シュネーダー院長は自ら先頭に立って再建に奔走します。その結果、3年後の1922年には新しい校舎を落成するに至りました。新校舎の正面には「LIFE LIGHT LOVE」の文字。この3つの言葉は、その後建学の精神のシンボルとして親しまれ、今日に至っています。

110506-3-05.jpg


1919年の仙台大火で焼失した中学部校舎は1922年に東二番丁に再建。
通称「赤レンガ校舎」。 

戦時も揺るがぬ建学の精神
終戦後の復興・発展へ

 1925年頃には、東北学院の同窓生の数は1,000名を越え、卒業生は教育・伝道・官界・実業界など各界で活躍するようになっていました。しかし1929年の世界大恐慌後、全世界に経済不況の嵐が吹き荒れ、東北学院はかつてない財政難に直面します。また、日本は軍国主義へと急速に傾き、学生・生徒には軍事教練が課され、キリスト教学校にさえも軍人の教官が配属されます。こうして満州事変が勃発し(1931)、日支事変へと拡大(1937)、第二次世界大戦へとなだれこんで行きます。
 1936年に迎えた創立50周年記念を機に、80歳の老院長シュネーダーの「我は福音を恥とせず」と題する説教はNHKを通じて全国に放送され、深い感銘を残しました。それはどのような時代であっても、建学の精神たるキリストの福音を守り通そうとする祈りの表れでもありました。
 それでも戦局が厳しさを増す中、東北学院の物心両面にわたる苦難は、1945年7月10日の仙台空襲によって頂点に達します。南六軒丁の専門部、東二番丁の中学部の建物は焼失あるいは破損し、何もかもが失われたかに思われました。
 しかし終戦後、東北学院は急速な復興を成し遂げます。そして、平和と民主主義を軸とする新しい教育理念にのっとって、学院もその制度を整え、新制中学校・高等学校および文経学部の新制大学を設置します。すぐれた教職員の獲得、校舎や校地・諸施設の補修、拡張、新築が進められ、大学・中・高ともに研究・教育機関として着々と陣容が整っていきます。揺籃期から激動の時代を経た東北学院は、次世代を担う人材育成の場として、新たな発展の時代に入ったのです。
 これまで約16万人にのぼる卒業生を送り出してきた東北学院。私たちは、卒業生を含めた豊かな人材資源とそのネットワークの力を生かし、これからも、地域に根ざし地域に貢献する東北学院として、新しい時代を切り拓く人材を育てていきたいと考えています。

東北学院の略年史

明治19年(1886) 押川方義とW.E.ホーイ両氏の協力により、キリスト教伝道者育成の目的を持って「仙台神学校」を開校。
明治24年(1891) 校名を「東北学院」と改称する。予科2年、本科4年、神学部3年に学制変更し、近代教育機関としての形態が定まる。
明治34年(1901) D.B.シュネーダー院長就任。「献身犠牲」のキリスト教精神をモットーとして、本学院存立の使命達成に向けて献身。
大正7年(1918) 専門学部を改組し、神学科、文科、師範科、商科とする。
昭和16年(1941) 太平洋戦争が始まり、キリスト教学校としての苦難の道が続く。
昭和21年(1946) 英文科、経済科を含む東北学院専門学校を開設。米国ミッションボードとの提携回復。
昭和24年(1949) 専門学校を、教育基本法・学校教育法に基づいて大学に昇格し、文経学部(英文学科・経済学科)を設置。
昭和26年(1951) 「学校法人東北学院」設置認可。
昭和61年(1986) 創立100周年記念式典を挙行。
平成23年(2011) 創立125周年記念式典を挙行。

ホームページより抜粋

 


プレスリリース:学校法人東北学院 法人事務局広報部広報課
〒980-8511 宮城県仙台市青葉区土樋1-3-1
/電話:022-264-6423/FAX:022-264-6478/E-Mail:koho@tohoku-gakuin.ac.jp