東北学院大学

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「古代倭国北縁の軋轢と交流-栗原市入の沢遺跡で何が起きたか-」開催

2015年09月24日

 好天に恵まれた今年のシルバーウィーク。栗原市築館の栗原文化会館において9月21日・22日の祝日2日間、東北学院大学アジア流域文化研究所主催による公開シンポジウム「古代倭国北縁の軋轢と交流-栗原市入の沢遺跡で何が起きたか-」が開催されました。入の沢遺跡では、古墳時代前期の集落跡から銅鏡4枚が出土しており、その研究成果を発表するシンポジウムで、2日間で延べ850名が来場しました。
 初日は宮城県教育庁文化財保護課の村上裕次氏が昨年度行われた調査成果を報告。続いて、大手前大学の森下章司教授が「銅鏡からみた入の沢遺跡と東北の古墳時代」と題して講演、その後お昼を挟んで、奈良女子大学の大賀克彦講師が入の沢遺跡から出土した「玉類」についての論考を披露しまた。続いて大崎市教育委員会の高橋誠明氏が「古墳時代前期の倭国北縁の社会」と題して大崎市を中心とした宮城県北部の概要を紹介し、最後に蝦夷研究会の八木光則氏が「入の沢遺跡」当時の東北北部社会について解説しました。
 2日目は、本学文学部教授で東北学院大学博物館館長の辻秀人教授が「東北地方の古墳時代の始まり」と題して講演、続いて立命館大学名誉教授の和田晴吾氏が「ヤマト王権の動向と東北の古墳時代社会」について詳しく解説いただいた。午後からは2日間にわたるシンポジウムの締めくくりとして両日の登壇者全員が揃い辻教授の司会による討論会「入の沢遺跡で何が起きたのか」が行われました。
 ヤマト王権が日本列島で最初の広域支配体制を広げる4世紀頃、ヤマトと同じ暮らし方をする人々が、入の沢に深い濠と材木塀で防禦を固めた大きな集落を作ったものの、この集落は火事に遭い放棄された…大切な鏡や装身具、鉄製品までもがそのまま放棄された…。この「入の沢遺跡」でいったいどのような事件があったのか、歴史ミステリーを解き明かす今後の研究に期待が高まるシンポジウムとなりました。

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