【敬神愛人】「東北学院を支えた女性 ―創立・発展の祈りと献身―」(史資料センターWEBコラム)
2025年12月02日
「神の恵みによってまもなく仙台にふたつの改革派の学校ができるでしょう。ひとつは男子のため、もうひとつは女子のための学校です」。これは東北学院創立者のひとりであるウィリアム・ホーイが友人へ宛てた書簡に記した言葉です。男子のための学校は東北学院、女子のための学校は宮城学院のことを指しています。「男子のため」の教育機関としてつくられた東北学院ですが、その歩みは表舞台に立つ教育者らだけでなく、女性たちの祈りと献身によっても支えられてきました。本コラムでは、東北学院の草創期(1886年~1900年)と興隆期(1901年~1930年)に貢献したふたりの女性を紹介します。
東北学院の前身である仙台神学校の設立にあたり、12枚の銀貨を献金した女性がいました。その人物は香味チカ(旧姓今野)といって、24歳で香味家に嫁ぎ、夫の死後、東北学院創立者のひとりである押川方義より洗礼を受けた仙台在住のキリスト教徒でした。洗礼を受けて間もない頃、キリスト教徒のための学校を設立するという押川らの計画を聞いた彼女は、老後のために長年蓄えていた財貨を捧げたのです。
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画像1:香味チカ |
画像2:香味チカが捧げた一分銀(実物) |
香味が捧げた銀貨12枚は、当時の価値にして約5円30銭に相当します。3円50銭もあれば家族が1か月食べられたといわれていたことを考えると、日々の暮らしを支えたであろうその銀貨は、彼女にとって決して小さい額ではなかったといえるでしょう。この献金を受けた押川が、「私たちの祈りは聴かれ始めた」と言って喜んだことが、ホーイから友人に宛てた書簡に記されています。押川が福音教育の志を胸に学校設立を願っていた当時、経済的基盤が乏しい中で捧げられた12枚の銀貨は、象徴的な意味をもっていました。
東北学院創立から40年後の1929年、南六軒町通りのキャンパス(現:東北学院大学土樋キャンパス)では礼拝堂の建設が試みられます。その際、建設資金の確保が大きな課題となっていました。この資金問題を解決したといっても過言ではない人物がエラ・A・ラーハウザーです。アメリカで暮らす敬虔なキリスト教徒の彼女は、医師・資産家であった兄の遺産の一部を売却して得た5万ドルを、礼拝堂建設のために献金しました。彼女の寄付は、東北学院が学問と信仰とを両立する教育の場として成熟していく時期にあって、礼拝堂という精神的中心を形づくる支えとなりました。この礼拝堂は、彼女の名前にちなみラーハウザー記念東北学院礼拝堂と呼ばれています。今も土樋キャンパスに立つ礼拝堂の静かな佇まいには、遠く異国から学院の将来を信じて祈ったひとりの女性の思いが息づいています。
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画像3:ラーハウザー記念東北学院礼拝堂(撮影:2025年10月23日) |
香味チカ、エラ・A・ラーハウザーのふたりの献金は単なる金銭的援助ではなく、東北学院の出発と発展に信仰と希望を託した祈りであったといえるでしょう。彼女たちの行いは、創立から現在に至るまで、東北学院の礎の一部として静かに受け継がれています。