東北学院大学

法学部

陶芸から学ぶこと

2026年02月24日

 今年度退職する教員の一人として、HP上に文章を載せることを求められました。そこで、私の趣味に触れ、「学ぶこと」や「書くこと」との関連性を考えてみたいと思います。私はほぼ20年来、週末は近くの陶芸教室に通っています(但し、途中に数年の空白があります)。きっかけは骨壺を作りたかったからなのですが、回数を重ねるうちに教室から多くの教訓を得ました。いくつか挙げます。

①    基礎が大事

 ろくろによる器成形の基本は、均一な厚みの円筒形を作ることです。これができれば、後はそれを自在に操り望みの形に変えられるようになります。円という形そのものに万物の基本があるのです。その際特に大事なことは二つ。一つは土をよく練ること。もう一つは、底の部分を丁寧に作ることです。華麗な上の部分を作るには、地味な基礎をしっかり固めなければなりません。

②    火による偶然

 器は最初の成形後に削りをし、乾燥させ、素焼きをし、その上に釉薬をかけ、最後に本焼きによって出来上がります。火の助けを借りるので、作り手が最終形を予め完全に制御することはできません。その意味で、器には常に偶然という要素が加わります。ですから、昔から窯には神様を祀ります。器づくりは人智の限界を意識させ、最後の仕上げを人以外の何者かに委ねる諦念を促します。昔の人が考えたように、誠に土と火は世界を構成する元素の一つなのです。

③    器はいつまでも未完成

 出来上がった器も完成形ではありません。例えば茶碗は、ご飯を盛ったりお茶を注ぐことで初めてその意味を充実させます。器は常に、誰かによって何かを補充されることを待っている不完全な代物です。

④    祈りとしての器づくり

 器づくりはそれ自体としても楽しい作業です。しかし、できあがったものをどうするのかと問われるならば、誰かに使っていただくため、と答えるしかありません。誰かが使うことで器は不完全さを脱し、使う人の生活に潤いがもたらされたり、豊かな色が添えられます。作り手は誰かに向かって「ようこそ」と語りかけ、その人の幸せを願うのです。「民芸」や「用の美」という言葉を作り出した柳宗悦は、宗教哲学者でした。「無私」の姿勢とは程遠いのですが、私もまた使ってくれる誰かのことをいつも想いながら紐状の土をこねています。

⑤    優しく接する

 先生の教えはそれほど多くありません。一番の口癖は「優しくね」というアドバイスです。実際、思い描く形を作ろうとして、つい土をぞんざいに扱うことがあります。土は嫌がり、あるべき均衡は破れます。そうではなく、―擬人化すれば―土自身がこうありたいと思っているであろうように、丁寧に手を添えることが大切です。先生の「優しくね」という助言を、私はそのように理解しています。

 ①は日々の修練と基礎の大切さを、②と③は書き上げる論文やレポートが不完全さを免れないがゆえに、誰かによるその批判と補正への期待を、そして④は知的営みが自分の知見を増すだけではなく、誰かの豊かさに寄与するようにとの祈りと共にあるべきことを教えてくれます。⑤はその上で、丁寧な作業こそが事物の均衡を探り当てることを示唆しているように思えるのです。

 (教員 陶久利彦 法哲学専攻)

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