東北学院大学

学長の部屋

2019年度9月期卒業式告辞

9月卒業生の皆さんご卒業おめでとうございます。またこの日を迎えた保護者の皆様のお喜びはいかばかりかと存じます。東北学院大学を代表しまして、心よりお祝い申し上げます。

いま、ここには、博士論文を提出し、博士号を見事取得した大学院博士後期課程修了生1名。4年半以上在学し、学士号を取得した学部卒業生48名を迎えています。

皆さんがこの学窓を後にして、旅立たれる21世紀という時代は、いまだ、原発事故の福島をはじめ東北地方の沿岸部に深い爪痕を残している東日本大震災の問題、地球温暖化や気候変動に象徴される環境破壊問題、自国第一主義によってきな臭さを増してきた平和問題など幾多の困難が待ち構えています。学院大学での最後の講義ともいうべき卒業式では、急激に発展しつつある情報社会が抱えている問題についてお話しすることにしましょう。

さて、皆さんも翻訳でお読みになったかもしれませんが、イスラエルの若き歴史家ユヴァル・ノア・ハラリは、世界中のベストセラーになりましたが、『サピエンス全史』(2011年)、その続編『ホモ・デウス』(2015年)において、情報革命に直面した私たち人間の危機についてこのように述べています。それは、「認知革命」によってわれわれ現代人の祖先であるホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人、ホモ・エレクトスなどほかの人類種と異なり、唯一生き延びることができたというのです。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスを比較してみますと、ネアンデルタール人の方が大きく、知力に優れていて、敏捷さもある。しかしながら、ホモ・サピエンスは弱いからこそ、必死になって安全な狩りができる道具を生み出し、弱いからこそ仲間同士で協力して集団の力を高めました。共同作業を通じて想像力を高めたのです。「認知革命」とは、「まったく存在しないものについての情報を伝達する能力」、すなわち「想像上の虚構」であり、ホモ・サピエンスはそれを身につけることができたのです。言い換えるならば、認知革命とは、「概念」や「物語」を共有する力であり、伝説や神話、そして宗教によって集団の力を身につけ、記録を可能とする「文字」や交易を可能とする「貨幣」というツールを通じて、共同作業を可能としたのです。こうしてホモ・サピエンスは、次に「農業革命」によって人口を爆発的に増やし、近代の「科学革命」によっていまや、自然は、恐れる対象ではなく、支配下に組み込むことができる対象なのだとさえ傲慢に考えるまでになったのです。

しかし、今日急速に発展しつつある「情報革命」は、「まったく存在しないものについての情報を伝達する能力」、すなわち、「想像上の虚構」というホモ・サピエンスの能力に危機をもたらしました。それを、ハラリは「データイズム(Dataism)の罠」と呼んでいます。われわれホモ・サピエンスは、コンピュータという便利な道具を考案し、情報資本主義という「新たな虚構」を創りだすのに成功しましたが、しかし、私たちの日常生活は何重にも張り巡らされた情報連鎖の中に組み込まれ、私たちを取り巻く情報ネットワークと無関係に意思決定することは容易ではありません。皆さんがよく知っているGAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)と呼ばれる巨大IT企業が膨大なデータを集積し、たとえば、フェイスブックの「いいね!」を例にとって説明しますと、フェイスブック側では、その人がどういうところで「いいね!」を押す傾向があるのか、つまりは興味や価値観を捕えようとします。ある人が300回「いいね!」をクリックしていれば、そこから生成されたアルゴリズム、すなわち、「計算し、問題を解決し、決定に至るための手順や方法のこと」ですが、アルゴリズムによって、家族より正確にその人の意見を予想することができるのです。人間は、物事を決める際に「データ」に翻弄され、「データ」に判断や意思決定の多くをゆだねてしまうようになるため、ホモ・サピエンスの発展の基盤であった「想像上の虚構」、すなわち、「物語」や「概念」を必要としなくなり、「民主主義」や「人権」そして「平和」という集団の力や共同作業を可能とする重要な概念は忘れ去られるというのです。このような「データイズムの罠」だけではなく、人工知能(AI)が人間の知能を凌駕することを「シンギュラリティ」と呼んでいますが、車の自動運転、銀行の窓口など、現在人間が行っている仕事の約半分がAIに奪われ、大量に「無用者階級」(Useless Caste)が出現するといわれています。皆さんが、これから旅立とうとする21世紀は、経済的不平等という問題と並んで、アルゴリズムを所有するほんの一部のエリートと、そのエリートたちが提供する無料の情報に基づいて完全にデータの奴隷となった人たちに世界は二分され、不平等がアップグレードされる時代だとハラリはいうのです。

一見便利に見える情報社会のネガティブな側面を指摘してきましたが、皆さんは、この東北学院大学や大学院において、これらの困難を乗り越える力を身につけてきたと私は確信しております。東北学院大学の建学の精神であるキリスト教による人格教育は、個人の尊厳を尊重するものであり、滔々と流れるリベラルアーツ教育の伝統は、人間を自由にする学問である教養教育が「データイズムの罠」から人間を解き放つ視点を提供してきたはずです。リベラルアーツの勉強とは、単に小手先のスキルを身につけることや知識やデータを増やすことではありません。そのような情報ならば、ネットをサーチすることで容易に入手できる時代です。むしろ、大量の知識やデータを総合的な視点で分析する能力(編集する能力。あるいは先ほど来言及してきた「物語」ストーリーを作り上げ、人間の尊厳を守る「概念」を大切にする能力)を身につけてきたはずです。そのためにも、学び続けることを大学卒業で終わりとするのではなく、コンピュータの情報処理能力であるOS(オペレーション・システム)同様、OSは一度インストールしたらあとは放置してもよいというものではありませんので、自らが勤勉であることと、生涯の様々な学びを通じて「自分のなかのOSをバージョンアップできる」ようにしていってもらいたいと切に願う次第です。

ご卒業を心より祝福し、挨拶とします。

東北学院大学 学長 大西 晴樹