東北学院大学

学長の部屋

2023年度9月期卒業式告辞

9月期卒業生の皆さん。ご卒業おめでとうございます。この日を心待ちにしてこられた保護者の皆様のお喜びはいかばかりかと存じます。東北学院大学を代表しまして心よりお祝い申し上げます。

今年の夏は酷暑の夏でした。ここ仙台において8月の平均気温は昨年度比4.2度も高く、酷いほど暑い日々が続きました。クーラーを24時間付けっ放しにしないと熱中症で倒れるような毎日でした。人類は、産業革命によって便利で豊かな生活を手に入れた反面、その生活から生じる廃熱、廃品への対策を怠ってきたために、1980年代の後半から地球温暖化が急激に進行し、心の奥底では、もう後戻りできないところまでついに来てしまっているのではないかという焦燥感に駆られるような暑い日々でもありました。

皆さんもご承知の通り2015年に締結されたパリ協定において、以下の枠組が決められました。すなわち、2050年までに地球の平均気温を産業革命期の平均気温から1.5度の上昇で抑え、そのためには、2030年までに地球温暖化の主要な原因である二酸化炭素CO2の排出量を45%削減する。現在、電気自動車など交通手段の電化、風力発電など電力の脱炭素化、食品ロスなど食生活の見直し、植林などによる自然環境の保護、産業のクリーン化やCO2を回収して地下に埋める炭素除去などGX(グリーン・トランスフォーメーション)が進められており、利便さの裏側にある廃熱、廃品という課題の解決をすすめることが人類生き残りのための必要条件となってきました。

地球温暖化に見られる自然環境の破壊は、キリスト教においては、神が創造された天地や万物、すなわち、自然を人間が管理するように神から委ねられたにもかかわらず、それが出来ていないということになります。今日は、神の創造された自然を人間が破壊することの愚かさを早くから告発し、神の創造のもとに、自然と共に生きるという人間の在り方を告白した田中正造について取り上げてみたいと思います。

以下、正造と呼びますが、正造は、日本初の公害事件と呼ばれる足尾鉱毒事件とかかわりました。栃木県足尾の銅山は江戸時代から通貨の素材を提供するために開かれていましたが、明治になり古川市兵衛により電線等、日本の産業革命の素材を提供するために再開発されました。当時は、廃品に対する配慮はなく、排煙、鉱毒ガス、鉱毒水という有害物質を周辺地域にまき散らすことになりました。とりわけ、渡良瀬川を通して鉱毒は下流域に到達し、稲が立ち枯れるなどの甚大な被害を農民たちにもたらしました。

正造は在地の政治家であり、農民の反対運動の先頭に立ち、公害の真相を国会で訴え、それが聞き入れないと、国会議員を辞めて明治天皇に直訴するまでにおよびました。獄中生活を経たのち、晩年は渡良瀬川沿いの貯水池建設の為に強制廃村となった谷中村に移り住み、71歳で支援者周りの途上で客死するまでこの日本最初の公害事件を告発しつづけました。そのような正造が死んだ時の全財産は信玄袋たった一つでした。書きかけの原稿、日記3冊、そして帝国憲法とマタイ福音書の合本だけ。地域のお寺で行われた葬儀には、正造を慕う地域の農民ら30万人が参列したともいわれています。正造は、教会に通うようなクリスチャンではありませんでしたが、晩年の生涯を支えていたものは、遺留品からも分かるように明らかにキリスト教の教えでした。

正造の神に対する考え方は「至誠の大」(しせいのおおい)という言葉で示されます。至誠、すなわち、その誠の心が遍く、広いという意味です。神は、どこにでも、日を照らせ、雨を降らせ、偏りがなく、広域性があるという点において、「至誠の大」、すなわち、普遍的な愛の神なのです。神は天地を創造し、その循環運動の恒常性を支配する神なのです。気候変動で苦しむ現代人は、異常気象を嘆きます。私たちは天地創造の神がそもそも「至誠の大」であることを忘れているのではないでしょうか。

正造にとって、水と空気は特別に重要な意義を担うものでありました。水と空気を神の賜物と直感するところに信仰の根拠があるというのです。水と空気の重要さを素直に受け入れてはじめて、神を知ることができる。温室効果ガスによって水や空気を汚し、海水温の上昇や高温化を招いてしまっている現代人は、水と空気の大切さに立ち返らなければ、食前の感謝の祈りは神に届かないのです。

最後は、そのような自然を破壊している人間の罪の告白です。それは天地を忘れ、荒廃させ、その回復を怠った罪であり、その罪を天地に感謝して改めなければならないと正造はいいます。「山川の破れは人心の破れより生じたもので、川のほとりを見れば涙の流れた跡があり、人の涙の流れた川は人も流れ、作物も流れる」と洪水のたびに被害にあうことを嘆きます。でも、正造は諦めません。被災地を歩けば歩くほど、「無限に怖れ、怖ろしくな」るのですが、他方で、いよいよ深く研究しなければならないと、研究の重要さを説くのです。「もし誰か、もう今更悔いても間に合わないという者があれば、自分は断じていう。悔いれば必ず対処するすべは見つかる」。そういいながら、正造は死を迎えました。

今日東北学院大学を卒業する皆さんは、これから社会を担う人材として、便利な社会を生きる反面、廃熱、廃品という課題と向き合わなければなりません。さもなければ、今年は去年より暑く、来年は今年よりも暑いという地球温暖化や、気候変動による洪水の被害はひどくなるばかりです。皆さんは課題解決の技術や事業を担うと同時に、神が天地を創造し、人間に心の豊かさや自然の恵みをもたらしたことを知っており、正造が最後に研究の重要さを述べたように「もし誰か、もう今更悔いても間に合わないという者があれば、自分は断じていう。悔いれば必ず対処するすべは見つかる」という意味の希望を知っています。

東北学院大学はキリスト教による人格教育を建学の精神とする大学であり、イエス・キリストが十字架にかかり人間を救済されたことに由来するLIFE LIGHT LOVEをスクールモットーとする大学です。LIFEとは命の大切さであり、個人の尊厳であります。LIGHTとは、大学で学んだ知識や技術で世界を明るく照らすことです。そしてLOVEとは、互いに愛し合い、仕え合うような関係を作ることです。どうか、皆さんのこれからの長い人生が神に祝福され、人類の生存に貢献するものであることをお祈りし、お祝いの言葉とします。ご卒業おめでとうございます。

2023年9月29日

東北学院大学 学長 大西 晴樹