東北学院大学

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星宮望学長 復興に向けたメッセージ

2011年04月19日

 平成23年3月11日の「東日本大震災」によって多数の尊い人命が失われたことに対し、深く哀悼の意を表します。また、この未曽有の大災害に被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、被災地域の安全と一日も早い復旧・復興を衷心よりお祈りいたします。

 今回の「東日本大震災」は、一千年に一度の規模ともいわれ、大地震そのものに引き続いて、大津波による大災害、そしてそれに続く原発の事故を引き起こしました。本学では、震災発生直後から、教職員各位が全力を挙げて在籍学生12,217名の安否確認をはじめとして、被害の調査、復興への対応、とくに、教育体制・内容の緊急的な対応策などに献身的なご努力下さいましたことに深甚の感謝を申し上げます。大学の3キャンパスの被害状況は大変厳しいものですが、皆様のご協力・ご努力によって、5月9日(月)の授業開始が実行可能であると思える状況に至りました。改めて感謝申し上げますと共に、なお一層のご協力をお願い申し上げます。

 さて。今般の「東日本大震災」のすさまじい情景を目の当たりにした時の、私個人の印象は、まさに、今から約65年前の「仙台大空襲」のあとの仙台市中央部の瓦礫の光景でした。もちろん、65年前のこの光景と今回の事象では比較すること自体意味がありませんが、次のようなことが言えるのではないでしょうか?すなわち、太平洋戦争における壊滅的な災害は、全国で広く見られたことであって、国民全てがその犠牲者であり、子供からお年寄りまで、どこでも起こったことでした。その中にあって、幼い子供としての私の印象をお伝えすることもこのような機会には許されると思います。

 昭和20年7月10日の深夜(午前0:05頃から約2時間半)、仙台市は米国のB29による大爆撃を受けました。当時、仙台市で、4歳半の子供であった私が、B29の大編隊の轟音と仙台市中心部の真っ赤な夜空の光景を見た恐怖の経験と、そして、それに続いて、戦後の仙台中心部の瓦礫の有様のはるかな記憶が、今回の災害の状況と符合してしまいます。この仙台大空襲の生の記憶を有して発言できるのは私が最後の世代であると思います。あえて、この二つを比較すると、太平洋戦争後の状況は、全国的に極限まで疲弊していた状況に追い討ちをかけたことでした。そして、これらはどこにでもあった全日本的なことであり、言い換えれば、どこにおいても生活の困難さは共有されていました。

 今回の「東日本大震災」において極端に大きな被害を受けた方々は、地域的にも限定されており、かつ、その惨状はこれまで類例を見ないものであります。今回の大津波は、多数の人命を奪ったばかりでなく、多くの住居そのもの、そして、仕事場そのものを奪いました。100トンを超える大きなマグロ漁船が海から数100m離れた陸地まで運ばれたことは悪夢としか言えません。ところが、その地域をはなれた人々の生活は21世紀の生活をほとんどそのまま享受することが出来ております。そのGAPは大変なものです。

 太平洋戦争直後の状況については、たまたま、平成23年3月1日に開催された東北学院の二つの高等学校における卒業式において最近の高卒・大卒の就職難の状況に対しての心構えの中で、学院長式辞の中で、私は、次のようなメッセージを披露しました。すなわち、「我々の日本でも六十数年前、・・・太平洋戦争が終結した直後の日本は大きな混乱と共に厳しい食糧難に見舞われました。私自身、昭和二十一・二十二年頃、小学校に入学する直前には、白いご飯を見ることも食べることもできなかったことが半年以上あった事を経験しています。」と述べました。今回の大震災において、多くの方々が毎日の食料を心配する状況に至ったことは、不本意ながら貴重な経験であるといえるかも知れませんし、我々に、最近の日々の生活における心の緩みと、必要な「緊急時対応」の重要性を教えてくれたと言えるかも知れません。また、その一方で、終戦直後の日本では、我々日本国民だけで将来を決めることが出来ずに、全てにおいてGHQ(連合国総司令部)のご意向を伺うというような屈辱的なことが続いたことを忘れることはできません。それでも我々の先輩のご努力で、日本はしっかり復興しました。

 この時の記憶・印象は、当時、小学生であった私の心に残る記憶・経験として物事を決めるときに、「自分の考えをまとめて主張すること、できることの重要性」を確信することへとつながりました。一方、今回の「東日本大震災」においては、極めて深刻な大災害にみまわれていますが、少なくとも外国に我々の将来について指図をされることなく、我々の知恵や工夫を発揮できることはありがたいことであります。この大震災に立ち向かう現在の日本では、全国的に疲弊していない都市、市民が大部分です。今こそ、それらの力を結集して被災地に相応しい支援・協同の活動のあり方を探り、そして実行してゆくことが重要であると思います。

 我々の存立する宮城県と周辺には今回の大震災によって大きな困難に遭遇している人々、生命の危機に瀕している人々がおり、その中には東北学院同窓生が多数おられます。これらの方々に対する支援が緊急の重大事項であり、我々東北学院大学の教職員・学生が連携して支援などに取り組むことが求められています。「災害ボランティアステーション」を立ち上げてすぐに行動できたことは良かったと思いますが、まだまだ不十分なところがあると思いますので、教職員各位のお知恵とご協力をいただきたいと願っております。

 今後の大震災への対応として、これまでの状況(生活環境、経済環境・・など)に復帰するだけでは不十分であることは周知のことです。その時に、我々東北学院卒業生、在学生は、これまでの東北学院の良い「地域貢献」の実績を生かしつつ、さらに、地域の方々に喜ばれる活動を積極的に行なってゆくべきであろうと考えます。そして、このときは、東北学院の建学の精神に立ち返って、真の地域貢献としてあるべき姿を熟考して、調査・計画・立案・実行を行なっていきたいと思います。最近の日常生活の中で、このように、自分の価値観を問い直しながら、自分の行動を決めることが出来る機会はそうありません。我が日本の危機的な状況においても、我々自身に対して神様から与えられた社会に貢献する機会が与えられたと受け止めて、我々の可能な範囲(能力、体力、経済力など・・・・)の範囲で、積極的に関わってゆきたいと思います。

 これまで述べたことを聖書の教えとの関連で考えて見ましょう。
 ここでは、新約聖書のヨハネによる福音書の言葉を引用し、今後の我々の歩みについての示唆を得たいと思います。

「イエスが道をとおっておられるとき、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った。『先生、この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したのですか。本人ですか、それともその両親ですか』。イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである』。
(ヨハネ福音書9章1-3節)

 東日本大震災のような苦難や災難に見舞われたとき、それに対する我々の歩みは、これらの震災を単なる自然現象としての災害と捕らえるのでなく、それらの苦難・災難などに対して我々がどのように努力・献身し、社会貢献したか・・・などが重要であると知らされます。いいかえれば、苦難や災難は新しい神の御わざの始まりであると受け止めることを聖書は教えています。このことは個人的な悲惨な状況などを考えると、とても無理なことと思えます。しかしながら、長い時間で考えた時には、この聖書の教えが、より重要な意味を持つかもしれません。現時点で、受け入れることは難しいかもしれませんが、聖書の教えを創立の原点にしている東北学院としては、現在の困難を克服する努力をしつづけることが、我々に神様から負託されている使命であり、お恵みであるということを味わって、今後の発展に備えたいと思います。

 ここに、「東日本大震災」による初期段階の困難さを克服して、次の発展的な復興の歩みを始めることを宣言して、皆様と共に力強く歩んでゆきたいと思います。

 皆さん、頑張りましょう!

平成23年(2011年)4月18日
東北学院 院長・大学長 星宮 望

>> 東北学院大学の復興に向けた全学の集い 開催報告