東北学院大学

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東北学院大学研究ブランディング事業シンポジウム『ジョン・ラファージと日光―アメリカのステンドグラス復興とジャポニズムのパイオニア』開催報告

2018年03月01日

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 2月24日(土)午後1時より本学土樋キャンパスホーイ記念館ホールにおいて、東北学院大学研究ブランディング事業シンポジウム「ジョン・ラファージと日光―アメリカのステンドグラス復興とジャポニズムのパイオニア」が開催されました。
 ラファージ(1835-1910)は日本では無名ながら、アメリカでは超越主義の画家、ステンドグラス作家として有名です。1886年に3か月日本に滞在し、日光の森や東照宮に感動して、帰国後に『画家東遊録』を上梓。アメリカにおけるジャポニズムの火つけ役となり、日米の芸術におけるもっとも重要な芸術家と言っても過言ではありません。
 開会に先立って、松本宣郎学長があいさつし、研究ブランディング事業の意義について話しました。
 最初に文学部の鐸木道剛教授が、基調講演をお願いしていた村形明子先生(京都大学名誉教授)が昨年に急逝されたため、その業績に感謝してシンポジウムを献呈することを述べてから、全体の趣旨説明に入りました。ラファージのステンドグラスが全く新しい作品であること、それからラファージの作品と言葉に見られる仏教的不可知論とについて具体的に例をあげて紹介し、ラファージは分析的論理的キリスト教による表象の観念の不在を描きますが、しかし偶像を描くことはなく、あくまで表象の観念に留まっていることを示しました。

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 続いて美術史家の有木宏二氏が登壇し、村形先生が受け持った最初の大学院生180301-4_5.jpgという縁での師弟関係と、いくつかのエピソードを披露してくれました。そして、ラファージが来日の折に世話を受けたアーネスト・フェノロサの人生と思想について解説。特にフェノロサは「隠れユダヤ教徒の末裔ではなかったか」という村形先生からの疑問を巡る考察が中心となりました。結論は、YESでありNO。その両要因を挙げて白黒をつけず、そのことによって逆に東洋の精神的統合を探求し、その奥義を体得しようとしたフェノロサの姿勢が浮き彫りとなりました。
 180301-4_6.jpg招待を受けて来日されたミシガン州立大学准教授のフィリス・フロイト(Phylis Floyd)氏は「ジョン・ラファージ:アメリカと日本の精神性をつなぐ」というテーマで話されました。日本美術と美意識が、いきいきとした装飾芸術を活性化させた中世的な精神への橋渡しとなったことを指摘。「美術の目的は我々の知性を地上から天に挙げることである」というミケランジェロの言葉をはじめ、さまざまな卓越した作家の言葉を引用しながら、ラファージの作品とその世界観と役割を複眼的に抽出。その作品と関連のある日本絵画を比較し、ラファージがいかに影響を受けて、それを作品に取り込んでいったのかを解説されました。
 さらに、シアトル大学准教授のケイティ・クレッサー(Katie Kresser)氏は「再び神聖化された世界:ジョン・ラファー180301-4_7.jpgジと日光の経験」と題して、日本の美意識やモチーフから霊感を受けて、その内奥の精神的なプロセスにまで関心が及んでいたことを指摘されました。近代西洋が喪失したものが日本美術にはある。それは「生きている芸術(Living Art)」であり、日光での体験を「偉大なパーンの神はまだ生きている」と記しています。クレッサー氏によると、「生きている」とは関係性のことであり、それが創造力の源泉となり、自然環境と一体となる神聖な空間の数々を生み出しました。消費社会へのアンチテーゼでもあり、ラファージにとって、まだ近代に毒されていない日本が世界の手本となったと語って締めくくりました。
 180301-4_8.jpg最後に登壇したのは埼玉県立近代美術館学芸員の五味良子氏。ラファージが来日した1886年当時の世界の状況や日本の風俗など、周辺環境からわかりやすく解説されました。蒸気船で世界漫遊する当時の富裕層「グローブ・トロッター」は、涅槃と骨董を求めたとのこと。その一人だったラファージはフェノロサとビゲローに案内され、岡倉天心と出会い深い友情が生まれる。折しもその精神性を世界へ発信する日本の文化人たちの機運と呼応して、ラファージはジャポニズムの旗手へ。お互いが求めていた鏡となり、自分を補強する幸せな交友が生まれた関係性の妙味を語りました。
休憩をはさんで講師全員によるディスカッションでは、ラファージの最近の展覧会の動向や彼の人柄や両親の人生などについて補足的に語られました。モダニズムの潮流から忘れ去られ、近年では再評価が高まっているとのこと。会場からも専門的な質問が飛び交い、稀有なる芸術家の深淵な世界をたっぷりと堪能することができ、意義深い日本初のシンポジウムとなりました。

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