東北学院大学

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東北学院大学研究ブランディング事業シンポジウム「我は福音を恥とせず ―新約聖書における<福音>理解 ―」開催報告

2017年10月19日

171019-1_7.jpg  10月7日(土)午後1時より、土樋キャンパスホーイ記念館ホールにおいて、東北学院大学研究ブランディング事業シンポジウム「我は福音を恥とせず ―新約聖書における<福音>理解 ―」が開催されました。

 東北学院大学の建学の精神は、「宗教改革の〈福音主義キリスト教〉の信仰に基づく〈個人の尊厳の重視と人格の完成〉の教育」にあります。本事業を通して、建学の精神がより一層、学院の内外に浸透することを望んでいます。それゆえ、2017年度(平成29年度)は「福音主義キリスト教」とは何かを考えるシンポジウムや講演会を企画しています。本シンポジウムもその一つです。

 パウロはロマ書1章16節で「我は福音を恥とせず」と記しています。東北学院第二代院長であるD. B. シュネーダーも、1936年(昭和11年)に迎えた創立50周年記念の際、「我は福音を恥とせず」と題する説教を行っています。福音とは何かという問いは、本学の建学の精神のみならず、キリスト教の根幹について考える問いでもあります。本シンポジウムでは、新約聖書、とりわけパウロ書簡における福音理解を明らかにし、その後、第二パウロ書簡、そして公同書簡に福音がどのように継承されたのか、または、継承されなかったのを検討しました。

 総合人文学科の吉田新准教授の趣旨説明の後、松本宣郎学長が登壇しあいさつしました。

 キリスト教が生まれて、ほぼ2000年です。500年たった1517年にマルティン・ルターが宗教改革の狼煙をあげました。それから370年下って、仙台神学校として東北学院の礎が築かれました。

 東北学院はこの福音主義キリスト教の流れの中に間違いなくあります。東北学院は、昨年130周年を迎えましたが、それに併せるような形で文部科学省の私立大学研究ブランディング事業に採択されました。この事業の趣旨は、人文学や神学(や地域)の分野で大学が研究を研鑽して、発信して輝いていくことにあります。その中で諸先生方の努力で今年は様々な事業が始められました。これら多くの研究の営みの中で、特に欧米の研究者をお呼びしての学びの時をもっています。今回のシンポジウムは、その一環としてハイデルベルク大学のペーター・ランぺ先生や広島大学の辻学先生をお招きして企画されました。

 まず、最初の講演者であるハイデルベルク大学神学部教授ペーター・ランぺ先生より、パウロの福音概念に関する講演が行われました。福音とは元来、ギリシア語では「良い知らせ(good news)」を意味する言葉でしたが、パウロはそれをキリスト教宣教において用いました。ランペ先生はパウロの福音の内容について解説されました。伝道を主眼とする福音告知の内容、そしてその倫理的な内容についてです。その後、福音を告知する主体、つまり神による主体と人間による主体について説明されました。

 広島大学大学院総合科学研究科教授の辻先生は、パウロ以後、パウロの福音告知がどのように継承されたのかを説明されました。第二パウロ書簡において、「福音」から「教え」へと重点が移動し、「福音」の「パウロ的集中」も見られるという意見を明らかにされました。第二パウロ書簡において、「福音」の内容については、統一的見解はなく、むしろ対立さえ見られるとも説明されました。

 福音は継承されたのかという問いは、その後、吉田新先生による発表でも扱われました。
第一ペトロ書において福音とは、終末論的切迫感の中で問われる生き方、読者の実存と関わってきます。このような福音の理解は、全面的に展開されることはありませんが、パウロ書簡の福音理解と類似しています。しかし、パウロ自身が自ら体験した福音を巡る実存的な深みは、この書簡からは感じられないと説明されました。

 なぜパウロの福音理解は第二パウロ書簡、第一ペテロ書で真正面から継承されなかったのか、という問いは、その後の討議の際にも問題となり、活発な意見が交わされました。

 福音とは何か。そして、それがどのように継承されたのか。この問題は、今後も研究ブランディング事業を通して深めていきます。

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