東北学院大学

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東北学院東日本大震災追悼礼拝を開催しました

2012年03月12日

 3月11日(日)14時30分から東日本大震災で犠牲となられた方々を追悼し、復興に向けた誓いを新たにするために「東北学院東日本大震災追悼礼拝」を開催しました。当日は、多賀城市の近隣の方々、東北学院関係者など約400名が出席しました。会場は、東北学院大学工学部礼拝堂(多賀城市)。東日本大震災時に、発生直後から多賀城市の拠点避難所のひとつとして多くの避難者を受入れました。
 追悼礼拝は、柴田良孝常任理事の司会で開会し、前奏、讃美歌312番を歌った後、佐々木哲夫宗教部長が新約聖書テサロニケの信徒への手紙第5章9節~22節の箇所を聖書朗読し、地震が発生した1年前の14時46分に1分間の黙祷を行ないました。その後、平河内健治理事長の式辞があり、頌栄、終禱で礼拝が終了。その後、教養学部教授今井奈緒子氏による、パイプオルガンの追悼演奏が行なわれました。

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東北学院東日本大震災 追悼礼拝 式辞

 本日は、東北学院・東日本大震災追悼礼拝にご参列をいただき、心から感謝申し上げます。大震災によって、東北学院では、大学生が5名と高等学校生徒2名が若くしてその尊い命を奪われました。平成23年度入学予定の学生生徒4名も犠牲となりました。教職員家族にも犠牲者が出ております。私たちの友人知己にも多くの犠牲者がおります。3月6日付けの警察庁のまとめでは宮城県の震災による死亡者は9512人、行方不明者は1754人と数えられております。岩手、福島両県をも合わせた全国の犠牲者のおよそ60%近くが宮城県に集中しております。謹んで、亡くなった方々のご冥福を祈り、ご家族の方々には衷心より哀悼の意を表したいと思います。
 今礼拝を奉げているこの東北学院大学多賀城キャンパス礼拝堂は命からがら逃げ込み救われた多賀城地区の被災者やドイツからの旅行者などの避難場所となったところであります。人によっては、あの日あの時の悪夢のような出来事やその後の試練や苦難を思い出す場所となり、怯え、悲しみ、辛さ、悔しさ、怒り、うらみ、せつなさ、鬱などを再体験してしまい、できれば、近寄り難い所であるかもしれません。また、ある人にとっては、救いと安全安心を再体験できる憩いの場でもあるかもしれません。
 私自身は、3月13日にやっと仙台方面から多賀城キャンパスを訪れることができ、翌14日にキャンパス近辺に赴くことができましたが、大学と幼稚園の教職員や多賀城市職員や緊急支援隊の大混乱の中での昼夜を舎かない献身的援助活動とその労苦、実家と肉親を津波で失った人の憔悴しきった姿、東松島から大学に避難した家族から聞く命の危険に晒された話、避難した幼稚園保護者と園児の疲れきった歩み、多賀城八幡地区での瓦礫化した建物や四方の壁の抜けた残骸、ヘドロの嫌な匂い、隣家の狭い二階部分でかろうじて避難生活する方の見舞い、粉塵による感染症への心配、45号線に二段に積み重ねられた流出した車の列、ガソリンスタンドに並ぶ車の長い列等と、思い出としては辛く悲しく受け容れ難いものが多くあります。
 しかし、どのような感情や想いの体験過程があっても、それらを生身のからだで感じている今の現実としてあるがままに受け容れられる時、自分が今現に生かされているという事実と感謝の念に辿り着きます。率直に神に感謝したいと思います。
 また、震災が天罰であると言われたり、原発事故被災のふるさとの無残な姿を死の町と表現されたりと、被災者の心を無視した無慈悲な言葉にも傷ついた人もおられたかと想います。喪失感に打ちひしがれた者にとっては、天災によってであれ、人災によってであれ、被災したものの中に「人」を感じて生きております。たとえ瓦礫と言われるものになっても、そこには生きた思い出があり、人間の営みを残し、愛の交流が想起されます。さらに、愛する者が自分の身代わりとなって亡くなったのだから、その分生きて欲しいと慰撫されることもあります。労わりの心は感じても、本当の慰めにはならなかった方もおられたかと想います。
 聖書は言います。「神は、わたしたちを怒りに定めたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです」と。天災であれ人災であれ、それは神の怒りによる天罰ではありません。また、イエス・キリストがすでに人類の罪を背負い身代わりとなって死んでくださっています。死者はわたしたちの身代わりで亡くなったのでもありません。聖書はさらに続けます。「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです」と。イエス・キリストは四六時中わたしたちと共におられ守ってくださっているので、安心して生きていけるというのです。
 死者は今キリストと共に天上にいます。先程一分間の黙祷をそれぞれに、そして、共に奉げました。死者へ呼びかけ、死者との対話ができたとことと想います。キリストはそこに介在し、死者との霊的愛の交流を可能にしてくださる方です。すでにわたしたちのために死んでくださった主は死者とともに、そして、わたしたちこの世にある者とともにおられます。わたしたちは孤立した存在ではありません。キリストを通して、亡くなった愛する者と共にいることができます。亡くなった愛する人たちはキリストと共にわたしたちが精一杯生きることを望んでおられます。
 だからこそ、わたしたちは「励ましあい、お互いの向上に心がけ」、互いに尊敬し、いつも善を行なうよう努めることができます。だからこそ、わたしたちは「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する」ことができるのです。
 先程は讃美歌の312番を歌い、イエス・キリストの父なる神を賛美し、いつくしみ深き友なるイエスに呼びかけ、慰めと労わりを祈りました。この後も頌栄を賛美し、終祷を奉げていただき賛美と祈りの時をもちます。そして、その後のパイプオルガン追悼演奏を聴きながら共に神を賛美し、慰めと労わりを再び祈りたいと思います。これによって、死者との霊的愛の交流が生まれ、復旧・復興への推進力が生まれることを祈念して、東北学院・東日本大震災追悼礼拝の式辞といたします。


平成24年3月11日
学校法人東北学院 理事長 平河内 健治

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