押川方義 – 東北学院初代院長

押川方義
写真提供:東北学院大学史資料センター

人物紹介

押川方義(おしかわ まさよし、1850年1月17日 – 1928年1月10日)は、東北学院及び宮城学院の創立者であり、東北学院初代院長を務めた日本人キリスト教宗教家・教育者です。新島襄、本多庸一、植村正久、内村鑑三、新渡戸稲造と並び、明治期日本におけるキリスト教主義教育の先駆者として知られています。

押川は1850年、伊予松山藩士橋本宅次の三男として生まれました。父は槍の名人でしたが、ある事件に関係したため自刃し、一家は困窮しました。この窮状をみかねた同藩士の押川方至が、熊三少年(後の方義)を養嗣子として引き取り、方義を名乗らせました。1866年の第二次長州征伐に松山藩兵として従軍するなど、武士としての経歴を持っています。

キリスト教との出会いと日本基督公会の創立

明治4年(1871年)に上京し、大学南校に学んだ後、横浜の宣教師J.H.バラの塾(通称「バラ塾」)に転じ、キリスト教に触れました。1872年(明治5年)3月10日、押川方義はバラ塾の青年9名とともにバラから受洗しました。この日、既に他所で受洗していた2名を加えた11名により、日本最初のプロテスタント教会である「横浜公会」(「日本基督公会」、現・横浜海岸教会)が創立されました。押川はすぐに青年長老となり、バラ仮牧師と一緒に日本基督公会を組織しました。同じ生徒の中には本多庸一(弘前藩、のち青山学院院長)、井深梶之助(会津藩、のち明治学院総理)らがおり、彼らは通称「横浜バンド」と呼ばれました。

東北伝道の開始

1875年、新潟で医療伝道をしていたスコットランド一致長老教会宣教師T.A.パームを助けるため、新潟に赴きました。1880年には、新潟大火災をきっかけに吉田亀太郎とともに宮城県への伝道のビジョンを持ち、10月10日より仙台で伝道を開始しました。押川と吉田は風呂敷を背負って仙台市内を巡回し聖書販売と路傍伝道を行いましたが、伝道は困難を極めました。1881年5月1日、横山覚、伊藤悌三が押川から洗礼を受け、これが仙台日本基督教会(現・日本基督教団仙台東一番丁教会)の創立記念日となりました。

押川は仙台を拠点としながらも、新潟、福島、会津、山形など東北各地で精力的な伝道活動を展開しました。1886年には山形県上山市で伝道を開始して上山教会を設立し、1887年には山形教会、1888年には鶴岡教会、1890年には米沢教会を設立するなど、東北各地にキリスト教会の基礎を築きました。

東北学院の創設

1886年(明治19年)、押川は東北伝道の拠点として、また優れた伝道者を養成する必要性から、アメリカ人ドイツ改革派教会宣教師W.E.ホーイとともに「仙台神学校」(現・東北学院)を創設しました。また同年、女子教養教育の普及を目的とした「宮城女学校」(現・宮城学院)も創設しました。1891年には、伝道者育成に加え普通高等教育を施すようになり、校名を「東北学院」と改称しました。押川は初代院長として、キリスト教に基づく教育活動や苦学生の支援などに尽力しました。

東北学院は経済的に豊かではない生徒が働いて学資を稼ぐための「東北学院労働会」を1892年に設立するなど、困窮する学生への配慮が特徴的でした。押川自身、幼い頃の困窮を経験していたため、苦学生への理解と支援に熱心でした。

1889年、押川は在日宣教師社団の推薦と合衆国改革派教会外国伝道局の招聘により欧米の教育事情視察に出発し、ドイツ改革派教会宣教師団伝道局と神学校校舎設立について協議しました。

東北学院からの離任と晩年

しかし、教会独立の理想を追求する押川と外国系ミッションとの間に対立が生じ、1901年(明治34年)、押川は東北学院を辞任しました。その後、実業界や政界に進出し、鉱山採掘、油田開発などを手がけました。1917年(大正6年)には郷里から憲政会より衆議院議員に当選し、2期務めました。

押川の人物像について、島崎藤村は自伝的小説『桜の実の熟する時』の中で「見るからに慷慨激越な氣象を示したある學院の院長」と描写しています。武士道精神とキリスト教信仰を体現した、情熱的で行動力のある人物でした。

1926年の創立40周年記念式典では、押川、ホーイ、シュネーダーの三校祖が再会を果たしました。1928年1月10日、78歳で逝去しました。葬儀は東北学院関係者によりキリスト教式で青山斎場で行われ、渋沢栄一、白瀬矗(南極探検家)らも参列しました。押川の遺骨の一部は雑司ヶ谷墓地に、残りは仙台の北山キリスト教墓地に葬られました。

押川方義は、東北学院の建学の精神である「福音主義キリスト教」に基づく「個人の尊厳の重視と人格の完成」の教育理念を確立し、東北地方におけるキリスト教伝道と教育の礎を築いた人物として、その功績は今日まで高く評価されています。

資料解題

主な参考文献・資料

押川方義略年表

1850年 伊予松山藩士の家に生まれる
1866年 第二次長州征伐に松山藩兵として従軍
1871年 上京、大学南校に学ぶ
1872年 横浜でJ.H.バラから受洗、日本基督公会創立に参画
1875年 新潟で伝道開始
1880年 仙台で伝道開始
1881年 仙台日本基督教会創立
1886年 W.E.ホーイとともに仙台神学校(東北学院)創設、宮城女学校(宮城学院)創設
1889年 欧米教育事情視察
1891年 仙台神学校を「東北学院」に改称、初代院長就任
1901年 東北学院院長辞任
1917年 衆議院議員当選(2期)
1926年 東北学院創立40周年記念式典で三校祖再会
1928年 逝去(享年78歳)

主な功績

  • 日本最初のプロテスタント教会「日本基督公会」創立に参画
  • 東北各地でのキリスト教伝道活動
  • 東北学院(仙台神学校)・宮城学院(宮城女学校)の創設
  • 東北学院初代院長として建学の精神を確立
  • 困窮する学生への支援(東北学院労働会の設立)