
人物紹介
鈴木義男(すずき よしお、1894年1月17日 – 1963年8月25日)は、東北学院普通科の卒業生であり、東北学院第6代理事長を務めた人物です。日本国憲法制定において、特に第9条の平和主義と第25条の生存権の確立に決定的な役割を果たした法学者、弁護士、政治家として知られています。
福島県西白河郡白河町(現・白河市)に生まれた鈴木は、東北学院普通科でキリスト教に基づく教育を受け、第2代院長のD.B.シュネーダーら宣教師たちから深い影響を受けました。東北学院大学名誉教授の仁昌寺正一氏は「ギダンさんは幼いころから身近にあったキリスト教を通じて西洋流の自由、平等、人道主義に触れ、弱い人の立場に立つ人格が形成された」と指摘しています。
東北学院卒業後、旧制二高、東京帝国大学法科大学と進学し、美濃部達吉・吉野作造・牧野英一らのもとで大正デモクラシーの思想を学びました。1919年の卒業後は東京帝国大学助手を務め、1921年から2年8ヶ月にわたり欧米留学を経験し、1924年に東北帝国大学教授に就任しました。
しかし、在任中に「軍事教育批判」に関する論考を『河北新報』に掲載したことから当局からにらまれ、1930年5月、東北帝国大学を辞職しました。その後東京で弁護士に転身し、河上肇・宇野弘蔵・有澤廣巳ら経済学者や、宮本百合子ら文学者、李光洙をはじめとする朝鮮の人々など、治安維持法違反者の弁護にも尽力しました。
戦後、日本社会党の結成に参画し、1946年の第22回衆議院議員総選挙で福島全県区から初当選を果たしました。1946年夏には帝国憲法改正案委員小委員会のメンバーの一人として、帝国憲法改正案の審議に携わりました。
鈴木の最も重要な貢献は日本国憲法の制定過程にあります。鈴木の提案から第9条に平和の文言が加わったほか、GHQ草案にはなかった第25条の生存権が追加されました。特に生存権については、1946年8月1日、帝国憲法改正案小委員会の第7回審議において、「それならば生存権は最も重要な人権です」という鈴木の気迫のこもった一言で、委員会の流れが生存権承認の方向に変わりました。また、最近の研究では、国家賠償請求権や刑事補償請求権も鈴木らの提案によって追加されたことや、三権分立の確立をめざして尽力していたことも明らかになりました。
憲法制定後は1947年から1948年まで片山内閣・芦田内閣で司法大臣・法務総裁を務め、戦後の司法制度改革に取り組みました。政治家としては衆議院議員を7期務め、日本社会党から民主社会党まで政党遍歴を重ねながらも、一貫して平和と人権を重視する姿勢を貫きました。
その後、専修大学学長・学校法人専修大学理事長を経て、東北学院院長にも就任し、東北学院第6代理事長として、現在の東北学院大学の発展の礎を築いた人物でもあります。
「ギダンさん」の愛称で親しまれた鈴木義男は、東北学院で培ったキリスト教的人道主義の精神を生涯にわたって実践し、平和で公正な社会の実現に向けて尽力した傑出した人物として、今日においても高く評価されています。東北学院の建学の精神を体現し、それを社会全体の発展に寄与させた卒業生といえるでしょう。
主な参考文献・資料
『平和憲法をつくった男 鈴木義男』仁昌寺正一著(筑摩書房、2023年)
『大正デモクラシーと東北学院―杉山元治郎と鈴木義男―』東北学院、2006年
「義男(ギダン)さんと憲法誕生」NHK ETV特集、2020年
鈴木義男年表
1894年(明治27年)
- 1月17日 福島県西白河郡白河町(現・白河市)に生まれる
1910年代
- 東北学院普通科に進学
- D.B.シュネーダー第2代院長らからキリスト教教育を受ける
- 仙台の第二高等学校(旧制二高)に進学
1919年(大正8年)
- 東京帝国大学法科大学法律学科卒業
- 同大学助手に就任
1921年(大正10年)~1923年(大正12年)
- 2年8ヶ月間の欧米留学
1924年(大正13年)
- 3月 東北帝国大学教授に就任(行政法・社会法担当)
1930年(昭和5年)
- 5月 軍事教育批判により東北帝国大学を辞職
- 6月 東京で弁護士事務所開設、法政大学法学部教授兼務
1930年代~1940年代前半
- 治安維持法違反者の弁護活動に従事
- 河上肇、宮本百合子、朝鮮系知識人らの弁護
1945年(昭和20年)
- 日本社会党結成に参加
1946年(昭和21年)
- 4月 第22回衆議院議員総選挙で福島全県区から初当選
- 7月~8月 帝国憲法改正案委員小委員会委員として憲法制定に参画
- 8月1日 「生存権は最も重要な人権」発言で第25条生存権条項実現に貢献
1947年(昭和22年)~1948年(昭和23年)
- 片山哲内閣で司法大臣
- 芦田均内閣で法務総裁
1952年(昭和27年)
- 専修大学学長就任
1960年(昭和35年)
- 民主社会党結成に参加、統制委員長・国会議員団長
1963年(昭和38年)
- 8月25日 死去(享年69歳)
主な功績
- 日本国憲法第9条への「平和」文言追加
- 日本国憲法第25条生存権条項の実現
- 国家賠償請求権・刑事補償請求権の憲法への追加
- 戦後司法制度改革への貢献
- 東北学院第6代理事長として大学発展に寄与