東北学院大学

工学部

学部長あいさつ

工学部長

工学部長
博士(情報科学)
岩谷 幸雄

工学部がある多賀城キャンパスは、仙台駅からJR仙石線で約20分の多賀城駅を最寄り駅として、徒歩10分弱の位置にあります。多賀城は、奈良・平安時代に陸奥国の国府が置かれたところであり、奈良時代には鎮守府も併せておかれていた東北の政治、文化、軍事の中心地でした。多賀城跡は、日本三大史跡として奈良の平城宮跡、九州の太宰府とともに数えられており、歴史的文化の匂いが薫っています。現在多賀城市は、仙台市に隣接する仙塩工業地帯の一翼を担う都市として位置づけられています。

工学部は、戦後米軍家族の住宅やアメリカンスクールなどに使用されていた跡地(33,000坪)を大蔵省から払い下げを受け、1962年(昭和37年)に開学しました。2022年には、創立60年目を迎えます。東北学院を創設した初代院長押川方義先生は、「東北をして日本に於けるスコットランドたらしめん」と理念を述べています。スコットランドは、イングランドと長い間戦い続けた結果、18世紀初頭に合併されます。しかし、英国の産業革命は、スコットランドの各都市が核となり行われました。蒸気機関の実用化に成功したJ. ワット、数学者のオイラー、マクローリン、電磁気を確立したマクスウェルなど数々の理工系学者がスコットランドから排出され、産業革命は別名スコットランド人の革命であるといわれます。そこには、敗者(スコットランド)が勝者(イングランド)と共存しつつも、ついには中心となり繁栄を生む姿がありました。戊辰戦争後、東北は賊軍とされ開発が遅れたという議論がありますが、押川先生は、そのような東北の姿をスコットランドに重ね反骨精神をもって、東北の振興を目指していたのではないでしょうか。初代工学部長を兼任した学長小田忠夫先生も、この理念を一歩でも実現するために工学部創設に尽力されたと聞いています。その精神は、今なお工学部に引き継がれています。

現代は、まさに第四次産業革命のまっただ中にあると言われています。ロボティクス、人工知能、IoTなど様々なキーワードが毎日のニュースを賑わせています。科学技術立国を目指す日本においても、超スマート社会等を目指して技術開発が行われています。日本の出だしは遅れているとも言われていますが、乗り遅れるわけにはいきません。工学部の中庭に、磁気録音の原理で著名な第二代学部長の永井健三先生による「創意工夫」と書かれた碑があります。本学から育つ技術者は、従来技術にとらわれず、創意工夫をもって、新しい技術を開拓できる人材となることを願っている碑であると思います。新しい分野においても、この願いに応えていく必要があると考えています。一方、新しい技術を社会実装するためには、社会的・行政的なルールの整備も必要となります。もちろん技術者も、これらのルールに目を背ける分けにはいきません。これらを議論していくためには、正しい倫理観を持ち、社会動勢に目を向ける技術者が必要とされています。東北学院大学工学部において学ぶ、キリスト教の精神と、幅広い教養の講義は、そのような技術者育成に寄与できると確信しています。また、どんなに人工知能や情報通信技術が発達しても、最終的に技術の恩恵を受けるのは人間であることを忘れてはいけません。サイバー空間に止まらず、常に現実世界に技術がどのように作用するかに注意を払い、真の意味で人類に貢献できる技術を開発できる人材を輩出していきたいと切望しています。

2011年の東日本大震災により、東北は甚大な被害を受けました。多賀城市でも、キャンパス近くの砂押川まで津波が押し寄せました。工学部キャンパスは、当時の遠藤銀朗工学部長が中心となり、多賀城市と連携を取りながら、避難所の設置など地域住民の皆様の安全に尽くした経緯があります。さらに、日本・東北は、地震だけでなく、大雪や大雨、冷害など自然災害と共に生きなくてはならない宿命を負っています。一時的には自然に負けてしまうこともあり得るでしょう。しかし、さまざまな災害後においても、東北のみなさんが、反骨精神を持って再び立ち上がる姿・意気込みは、まさしく押川先生が考えていた東北のあるべき姿を具現化しているようにも見えます。その中心となるような東北を支える反骨精神・開拓精神のある技術者を育てていくのが、東北学院大学工学部の責務であると考えています。

工学部は、61年目を迎える2023年4月から仙台市五橋にキャンパスを移転する予定です。多賀城における60年の歴史に感謝しながら、引き続き地元に密着したエンジニアを輩出して地域に貢献していきたいと願っています。新しい環境でも、未来の日本・東北を支える意識をもった熱いまなざしを持った学生諸君に会えることを期待しています。