本学のあゆみ

戦時も揺るがぬ建学の精神
終戦後の復興・発展へ


▲1926年、専門部校舎として完成。第二次世界大戦の戦火と荒廃を潜り抜け、戦後の東北学院再興の本拠地となった。現在の大学本館。

1925年頃には、東北学院の同窓生の数は1,000名を越え、卒業生は教育・伝道・官界・実業界など各界で活躍するようになっていました。しかし1929年の世界大恐慌後、全世界に経済不況の嵐が吹き荒れ、東北学院はかつてない財政難に直面します。また、日本は軍国主義へと急速に傾き、学生・生徒には軍事教練が課され、キリスト教学校にさえも軍人の教官が配属されます。こうして満州事変が勃発し(1931)、日支事変へと拡大(1937)、第二次世界大戦へとなだれこんで行きます。

1936年に迎えた創立50周年記念を機に、80歳の老院長シュネーダーの「我は福音を恥とせず」と題する説教はNHKを通じて全国に放送され、深い感銘を残しました。それはどのような時代であっても、建学の精神たるキリストの福音を守り通そうとする祈りの表れでもありました。

それでも戦局が厳しさを増す中、東北学院の物心両面にわたる苦難は、1945年7月10日の仙台空襲によって頂点に達します。南六軒丁の専門部、東二番丁の中学部の建物は焼失あるいは破損し、何もかもが失われたかに思われました。

しかし終戦後、東北学院は急速な復興を成し遂げます。そして、平和と民主主義を軸とする新しい教育理念にのっとって、学院もその制度を整え、新制中学校・高等学校および文経学部の新制大学を設置します。すぐれた教職員の獲得、校舎や校地・諸施設の補修、拡張、新築が進められ、大学・中・高ともに研究・教育機関として着々と陣容が整っていきます。揺籃期から激動の時代を経た東北学院は、次世代を担う人材育成の場として、新たな発展の時代に入ったのです。

1962年には多賀城市に工学部(機械工学科、電気工学科、応用物理学科、のちに土木工学科)を新設。1964年には文経学部を文学部(英文学科、基督教学科、史学科、二部英文学科)と経済学部(経済学科、商学科、二部経済学科)に分離し、翌1965年には法学部(法律学科)を新設しました。こうして東北学院大学は、文・経済・法・工学部を擁する東北唯一の私立総合大学となったのです。さらに、これと前後して各学部に大学院研究科を設置し、研究者養成体制を整備。1989年には5つ目の学部となる教養学部が設置しました。そして2005 年の教養学部の改組に引き続き、2006 年の工学部の改組と、時代が求める改革を進めてきました。

これまで約15万人にのぼる卒業生を送り出してきた東北学院大学。私たちは、卒業生を含めた豊かな人材資源とそのネットワークの力を生かし、これからも、地域に根ざし地域に貢献する総合大学として、新しい時代を切り拓く人材を育てていきたいと考えています。

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