東北学院大学

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学長の部屋

大学卒業式告辞

平成25年度 東北学院大学卒業式告辞

本日ここに東北学院大学を卒業なさる皆さん、ご卒業おめでとうございます。あわせてご来臨の保護者の方々にも、心よりお祝いの言葉を申し上げます。

東北学院は1886年(明治19年)にこの仙台の地に、キリスト教に立つ人格教育をほどこすことを目的として創設されました。そして第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)、創設時の建学の精神を高等教育機関として発展させるべく、新制大学としてスタートしました。最初の学院卒業生を送り出したときから数えて、すべての卒業生は17万人を超えます。その卒業生、TG同窓生の大きな群れに、新しく約3000名の諸君が、今日加えられることとなります。まことに力強い群れであります。東北学院として、大変誇らしく思うものです。

東北学院大学で学んだ4年間のことが、今皆さんの脳裏に想起されていることと思います。

皆さんは、私たち東日本にある者が決して忘れることの出来ない、2011年3月11日の大震災に、大学1年生を終え、2年生になろうとした、そのとき遭遇されたのだと思います。ほとんどの人間にとって人生最大の自然災害に私たちは直面しました。皆さんはあるいは悲痛な経験をし、あるいはボランティアに奮闘されて、夢中に日々を過ごしたのだろうと思います。

今、私たちの周りではほぼ震災以前の生活がもどり、時間というものがどんな悲惨な出来事でも、傷みを和らげ、平和を戻してくれるのだ、という感想を一面ではもっています。

しかしもちろん、フクシマの原発事故は今も大震災が続いていることを私たちに突きつけています。原発事故と、そしてまた津波による被害によって、故郷を追われて不自由な生活を強いられている方が10万を超える単位でおられます。復興がいっこうに進んでいない、という印象をより強く持たざるを得ない現状です。

皆さんの中にも、またご自身でなくとも親しい方が、震災の傷みを今も負っておられるにちがいありません。そのことを、外見上平和を楽しんでいるかのような私たちは忘れてはなりません。

しかし、にもかかわらず今このときも、キリストは、被災者である彼らを見守り、支援しようと思っている者たちも含め、すべての者と共に、やはり歩んでおられる、ということを想起したいと思います。東北学院で学ばれ、キリスト教と聖書に触れた皆さんは、いかなる苦難と闇を経験するときも、キリストが私たちと共にいてくださる、ということを、感じられたと信じるからであります。

聖書は、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。希望が失望に終わることはない」、と語ります。現状はなお忍耐を要する事柄が山積していても、希望は失われることがないのです。それを東北学院を卒業してゆかれる皆さんには知っていただきたいのです。

皆さんは本学の6つの学部、7つの研究科で学ばれ、卒業と修了を認定され、学士号、修士号を獲得して旅だってゆかれます。それが大学が皆さんのためにお渡しする証明、ディプローマです。分野は様々ですが、それぞれの分野の専門的知識とその学問の手法を皆さんは身につけたわけです。学んだ授業のタイプは講義、演習と様々だったと思いますが、中でもフィールドワークやゼミレポート、卒業論文では、単に教えられるだけではなく、皆さん自身が自主的に、自己の判断で問題を発見し、調査し、発表の言葉や論文を構想し表現することが求められ、あるいは苦しみつつも、大学で学び、鍛えられ、達成する、という喜びを実感されたと思います。また、教育実習とかインターンシップとか、あるいは先ほど触れた被災地ボランティアなど、大学の外に出て、社会の問題と向き合う機会も少なくなかったでしょう。それらは特に良い経験となったことと思います。

これらの大学の学びの蓄積、すなわちディプローマが、今日これから皆さんが出て行かれる、仙台の、東北のあるいは日本全体、そして世界各国の、まさに現場で働き、生きる糧を手にしてゆく上で、必ず大きな武器となるのです。山ほどある課題を与えられ、あるいは課題そのものを見つけ出すことを求められ、それらを解決することが不可避となります。大学で得たノウハウが役立たないほどに問題は難しくなるかも知れません。そのような場合の応用力、ひらめきを感じる力は、大学で得たものを皆さんが我がものとし、それらを磨き上げることによって獲得されるはずです。

学生にとって大学とは、ある意味ではユートピア、それほどでなくとも平和な実験室、というところかもしれません。聖書では、キリストが弟子を伝道に派遣するにあたって、「まるでオオカミの群れに羊をはなつようなものだ」とおっしゃった、とあります。現在の日本と世界の現況をみるにつけ、私も大げさでなくそのような思いに駆られます。

民族と国家の間に平和な状態が保たれなくなっています。小さな無人島の取り合いがあり、一国の民族の違いが関わる対立から、その国を分裂させる動きがあります。21世紀の国際秩序に、20世紀どころか19世紀の国家主義の対立の再現を見る思いです。先進国と発展途上国の対立に宗教対立が絡み合う、さらに核の恐怖すら人質にされる、深刻な亀裂があります。社会経済的には大資本と中小企業の格差の拡大、労働者の間にも正規と非正規の、つい最近までなかったような差別化があり、いわゆるワーキングプアの問題は、少々の景気上昇では解消されそうにありません。貧しさの問題は、家族関係の希薄化によってより大きくなり、アフリカ、アジアの多くの国々でいっそう深刻です。政治家は哲学を語らなくなり、経済的利益と効率、軍事に支えられた国家愛にのみ興味を持つかのようです。そして、インターネットと先端科学の進歩が、人間関係や倫理において受け止められないほどに肥大し、想定外の犯罪や摩擦を生み、上に述べた差別や貧しさの更なる深刻化を招いています。

皆さんだけでなく、すべての人類が、よほど目を開き、知恵を総動員して立ち向かわなければならないのが現代なのです。大学卒業は、業を終えることではなく、新たな階段への踏み出しです。

けれど、「希望は失望に終わらない」のです。「神は耐えられないような試練を与えることはなさらない」、とも聖書は教えます。東北学院を巣立つ皆さんにはこれは特に力強い支えです。身につけた専門的知識、そして聖書の言葉が、よく生きよう、隣人を愛し、地の塩として、世の光として、世界を正しい方向へとみちびくよう働こう、と決意する皆さんのいついかなるときにも確かなよりどころとなるでしょう。

厳しい社会へと旅だってゆかれる皆さんの、力強いあゆみと明るい未来を確信して、告辞といたします。

ご卒業おめでとうございます。

2014年3月25日

東北学院大学学長 松本宣郎