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クリスマスに想う

(チャペルニュース 2013年12月発行 第127号)

チャペルニュース 2013年12月発行 第127号

私がクリスマスというものを意識、と言うか体験したのは、おそらく多くの人がそうであろうけれど、かなり幼いころのクリスマスプレゼントから、であった。その次が、幼稚園(近くの教会付属の幼稚園に通った)の生誕劇だったと思う。もちろんクリスマス・ページェントなどというしゃれた表現は記憶になく、「イエス様のお誕生」というようなイメージであったろう。

クリスマスを、神が人間の姿をとって、人類の罪の身代わりとなるために地上に生まれたことを祝う行事、として聖書的に認識したのは教会に通うようになった10代のことである。

さてそれから、少し知識がついて生意気になって、クリスマスの英語綴りが気になってきた。Xmasと綴るのはなぜか?
Christmasという語があるのに〝X〟とはどういうことか。これはキリスト、Christのギリシア語源の頭文字がX(ristos)だから、と知って納得した。すこし端折るが、要するにChristmasの真の語源はラテン語で、missaChristiすなわち「キリストのミサ」から来ている、というのがたどり着いた正解であった。

ところで「ミサ」はカトリック教会の最高の聖なる礼典である。神が人となり、肉と血をもつ者となって、すべての人の罪を購うために十字架について死に、そして復活した。そのことは人に救いの約束を与えるもので、このことを信じ受け入れる者が礼典にあずかる。その礼典は、礼拝ごとに行われるものである。そしてそれがキリストの体であるパンと葡萄酒を食する以上、すべてのミサは「キリストのミサ」となるはずである。

だから古来カトリック教会では、キリストの誕生日とされる12月25日の礼拝を、「誕生のミサ」などと呼んだものと思われる。それがラテン語から中世英語を経てChristmasという語が生まれたとき、多分大事なミサという意味で12月25日のミサを指して用いられるようになり、やがてその日そのものを指すようになったものだろう。かくして辞書的にChrsitmas は、「12月25日、キリストの生誕日」とされるのである。

「大事なミサ」とは言ったが、教会暦の中でもっとも大事とされたミサが「誕生のミサ」だったのか、「復活のミサ」がそうだったのではないか、との思いも小さくはない。復活日は全く別の呼称、パスカ(元来ユダヤ教の「過ぎ越しの祭」を指し、ギリシア語も同じ語を用いて、キリスト教会では「復活日」の意味でも用いられた。ラテン語も同じ語。英語では「イースター」)、が早くより称えられ、この日は明らかに「誕生」よりも古い時代から祝われていた。それは4世紀の教会史家エウセビオス『教会史』からもわかる。このことの考証は非常に重要な初期キリスト教史上の問題であるので、別の機会にしなくてはなるまい。

さて、私たちの間で「クリスマス」は、正確にはどういう意味で理解されているだろうか。やはり「キリストの誕生日、すなわち12月25日」であろうか。どうも漠然とはもっと広く、「ジングルベル」や「きよしこの夜」が歌われ、プレゼントセールにツリーやサンタなど特有の飾りがつく、12月初めから始まる祭的現象、というあたりではないだろうか。日本人が年一度だけクリスチャンになる、などと揶揄される期間、などもよく言われる表現であろう。

そのことに異議を申し立てるものではないが、「クリスマス」をキリスト教として意義づけるためには、英語辞書的な語義は不十分だということはよく認識しなくてはならない。それは,中世キリスト教、ラテン語の世界では備わっていたはずの「キリストの生誕のミサ」という意味が辞書ではすっぽり抜けている、ということに他ならない。キリストの誕生の懐かしく牧歌的なイメージ、そこに間違いなく神の不思議な業への畏敬と信仰,感謝の思いがこめられてクリスマスが認識されているとしても、クリスマスは神の子の到来が人類の救いのため、成長した後、十字架で死に,復活するためであったことに感謝する「礼拝」でなくてはならない、と思うのである。

日本のプロテスタント教会では,通例12月25日から逆算して七日前の19日までに日曜があたれば、その日の礼拝が「クリスマス礼拝」として祝われる。それが真に教会のクリスマスである。それが他のキリスト教国では,何曜日であれ25日その日をクリスマス礼拝とすることが多いようである。どちらが望ましいとも言い切れない。大切なのは礼拝を持って祝うことだからである。

 今年もまたクリスマスの日を迎える。世界の平和のために、被災地の方々のために、そして東北学院のために生まれた救い主の誕生を礼拝をもって感謝し、祝いたいと思う。