東北学院大学

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学長の部屋

スピーチ・講演録

東北学院創立128周年記念式式辞

2014年5月15日

本日ここに、東北学院創立128周年記念の礼拝を共に捧げることがゆるされました。神の大きな恵みと感謝いたします。ご多用にもかかわらずご参集くださったご来賓の皆さま、本学院同窓生の方々、そして本学院の務めにあたっている教員・事務職員、加えて今本学院で真摯な学びに励んでいる学生生徒代表諸君、これら皆さまにも厚く感謝申し上げます。また、東北学院のために25年にわたってよきお働きをなされた永年勤続者皆さまに感謝の意を表しえますことをも幸いに存じます。

改めて、東北学院のこれまでの歩みを守り導き、ここにお集まりの皆さまと、128年の間本学院に関わりを持たれたすべての方々を慈しみ、祝福をお与えになっておられる、東北学院のまことの創立者であられる神をほめ称えます。

この礼拝堂には、押川方義、W.E.ホーイ、D.B.シュネーダー、の本学院にとって大切な「三校祖」の肖像が掲げられています。彼らそれぞれの、東北学院創設のためになした働きの大きさ、想像を絶する苦難と、それと格闘した熱誠というものを私たちは『学院百年史』などを通して知らされ、彼らへの感謝と敬愛の念を、今新たに覚えるものです。その上で私たちは、人類の救いという永遠の計画のうちに、東北学院を建て、その歴史を支配される神こそが、この3人の器をこの地に遣わし、働かしめたこと、彼らも神の立てられた学校に仕えることを使命として受け止め、全力を尽くしてなお誇ることのなかったことを不思議にもまたすばらしいことと感謝するものであります。

東北学院は1886年、明治19年仙台神学校としての歩みを始めました。最初は2人の教師と6人の生徒だけの学校でありました。福音主義キリスト教に基づく人格教育を施す普通教育をも理念に加え、1891年に東北学院と改称し、今日に至っています。聖書にあるように、キリストの光に導かれ、生かされていることを感謝して、キリストにならい、人に愛をもって仕える、そのことを教育の基本として来ましたし、これからもそうしてゆくのであります。

学院の歴史の中で大きな転機、あるいは危機的状況は何度かありました。明治32年に文部大臣が発した、いわゆる「訓令第十二号」がそのひとつであります。公私立問わず、およそ学校というものに宗教儀式を禁じた国家の命令でした。押川、シュネーダーらの必死の努力、また当時すでに数を増していた日本のキリスト教学校が同盟しての抗議で、時間はかかりましたが切り抜けることが出来ました。大正8年3月の仙台大火は中学部校舎を焼き尽くしました。そして、第二次世界大戦で日本がこうむった悲劇であります。学院の建物も、教職員と生徒も、大きな傷みを受けました。このような出来事を経験しながらも、神は東北学院を守ってこられたのだ、ということを改めて思うものであります。

長く、恵みにあふれた128年の歴史に感謝するものですが、この1年という一区切りの中でも、いくつか心に刻むべき出来事がありました。

昨年9月に、NHKテレビで第二次大戦時の日本を振り返るいくつかの番組がありました。戦争の悲惨と平和の大切さを実感させる番組群であり、この姿勢をテレビ局には守ってほしいと最近特に思うのですが、その中でも1943年・昭和18年、敗戦濃厚であるにかかわらず軍国主義日本がとった対策の一つであった「学徒動員」が、番組で丁寧に取り上げられました。それぞれの大学の関係者から資料や目撃証言を探しだした慶応大学や法政大学の資料センターの成果が紹介されました。そして本学院の資料室で確認された写真などもNHKからの事前のアンケートで注目されて取材され、放映されたのです。その写真は、まさにこの礼拝堂で昭和19年に撮影されたもので、48名の生徒たちが写っていました。彼らの許に届いた教育召集令状というものも残っていました。本学院からは今知りうる限りで182名の生徒が出征させられたということです。彼らの何人かは二度と仙台に戻ってくることはなかったと思われます。このことは本学院の歴史の中で大いなる痛みとして、また私たちの罪として記憶しなくてはならぬことである、と思わされたことでした。

次は、今年の2月21日に押川記念ホールで開かれた、デフォレスト館を主題とするシンポジウムです。この建物に住んだ最初の宣教師デフォレストその人は、本学院との関わりは深くありません。しかしある時点でこの建物は宣教師団から本学院に寄贈され、利用されました。最後に住んだ宣教師シップルが本大学教授を勤め、最近までこの建物の名前にも残っていて、シップル館の方がなじみのある方が多いと思いますが、東北学院が創立以来、アメリカの宣教師団と深く強い絆で結ばれていたことを証しする建造物であることは確かなことです。国の登録有形文化財指定を受けたのは幸いでしたが、大震災による傷みで、目下は入ることが出来ません。第一段階の調査報告が、シンポジウムとして行われ、建物のユニークな構造や、仙台のキリスト教宣教史におけるこの建物の意義について、様々な角度から興味深い報告が聞けました。これから本格的なデフォレスト館の修復計画を策定したいと思っています。

最後に、これらのことを包含する出来事として、この4月、東北学院史資料センターが設置されたことを挙げなくてはなりません。先ほど紹介した学徒動員の写真も本学院が有する貴重な歴史資料であり、その他多数の文書や様々な記念物などの、学院の歴史にかかわる資料はこれまでも研究され、利用されてきてはいました。昨年3月には『押川方義とその時代』が刊行されましたが、これに先立って出されている島崎藤村らに関する研究報告集いずれもが、これら資料を駆使したものでありました。すでに実績はありながらも、資料管理の組織が制度化されていなかった状況に鑑みて、きちんと規程を策定し、委員会体制をつくることとし、4月1日にスタートさせたのであります。今後未整理の大量の資料を整え、学院史の研究を充実させて、その成果を教育にも反映させたいと構想しているところであります。

このほかにも128年を迎えて、本学院の歩みが豊かな恵みのうちに様々な営みをなせたことを想起します。大震災から3年が経ちました。施設の面では完全に復旧しました。しかし影響はなくなっていません。被災学生生徒のための支援を続けています。津波被害をこうむった東北の地域のために、ボランティア活動を継続しています。大学は宮城県、仙台市、多賀城市、宮古市と協定を結んで、大学の知と力を復興のために提供しようとしています。地域と共にあり、奉仕する姿勢は中学高校、榴ケ岡高、幼稚園も同様であります。一言申し添えなくてはなりませんが、大震災時の本学院の対応の詳細を記録した資料と関係者の体験記録を集めた、大部の『東日本大震災と東北学院』をこの3月に公刊したことも、学院の今後の歴史のために大いに意義ある事業であったと思います。

学院の学びにより、キリストの与えられたいのちと、光と愛を現すLIFE LIGHT LOVEの3L精神を胸に刻み込み、また「地の塩、世の光」としての生き方を大切にする者たちが、17万も与えられていること、これらの方々が、本学院での学びを結実させ、社会においてよく生き、奉仕し続けておられること、このこともまた神さまのお恵みであります。そしてこの群れは、これからも1年を経るごとに確実に増えてゆくのです。今、学院の教学の務めにある者として、その任の尊さと重大さを思わざるを得ないものです。神さまの更なるお守りと、祝福を願わざるを得ません。

現今の社会、日本と世界を見ますとき、あたかも神なき時代の状況を目の当たりにするかのような思いに駆られます。マタイ福音書24章にあるキリストの予言「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。」の通りではあるまいか、と。東北学院もまた巻き込まれざるを得なかった戦争の体験と平和の危機、それを戦後の70年、本学院は二度と過たぬとの覚悟をもって歩んできました。その道をこれからも進まなくてはなりません。

そのためには、今、さらなる決意が必要とされています。建学の精神に立ち、まず何よりも「主を畏れること」を第一として、128年目を歩み出したいと思います。青年に社会的スキルを鍛え教えると共に、キリスト教に立って心と教養・人格を育てる、という業を淡々と担い、実践してゆくこと、その単純なことをひたすらに守りたいと思います。ただ万物の創造主にして私たち学院の真の創立者たる神を信じて守ればよい、そう心より信じます。

最後にパウロの言葉を持って結びといたします。

「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」(ローマ12:10-12)