東北学院大学

法学部

奇妙な空き地

2014年07月14日

 1年生向けの「法曹養成実習Ⅰ」では、初回の課題として「自宅から大学まで来る間に見つけた面白いもの」を文章にしてもらっています。その中から一つ紹介します。図らずも仙台市の紹介にもなっています。

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 私の通学路には奇妙な形の空き地があります。それはわたしの家を出て自転車で5分程のところにあり、小高い丘のような、しかし正方形に取り囲んでいる空き地です。正方形の内側は人が入れるスペースが十分にあり結構な広さです。子供達はこの奇妙な形に興奮し遊び場としています。
 閑静な住宅街の中にあるこの奇妙な空き地の歴史は、実は古いものなのです。時はさかのぼること300余年。日本は元禄、江戸時代前期のことです。この時期につくられた仙台藩の火薬貯蔵所で、つまりこれは単なる空き地ではなく遺跡だったのです。現在は松森焔硝蔵跡と呼ばれています。かつてここにはあと2基の火薬庫があったのですが、宅地造成のため1号焔硝蔵跡と2号焔硝蔵跡は発掘調査が行なわれた後に壊されてしまいました。現存しているこの場所には当時、常時600箱7,200貫(27t)の火薬が貯蔵されていたそうです。
 ちなみに、1号焔硝蔵跡では、土塁で囲まれた内側から礎石建物跡や溝跡、そして爆発穴が確認されたそうです。爆発穴は14×17mほどのいびつな形で、すり鉢形を呈し、深さは1.6mほどあったらしいです。さらに仙台藩の焔硝蔵跡ではたびたび爆発事故が起こっており、発掘で確認された爆発穴も爆発事故によるものと推定されています。松森焔硝蔵跡は元禄年間に設置されたのですから、時の仙台藩主は4代伊達綱村と思われます。4代綱村の頃から明治初期までこの火薬庫は機能していたそうです。ちなみに綱村の頃に3大お家騒動の1つである伊達騒動がありました。
 現在はもちろん機能していない松森焔硝蔵ですが、当時の仙台藩の火薬調達のためにこの場所が役立っていたというのはとても意外なことだと思いました。さらに江戸初期から明治初期までの期間という時間的な長さも驚きです。この間に新式の武器開発も進んだでしょうから、大きな功績をのこしたものと思われます。
 私の説明を読むと、火薬庫というイメージが強すぎて、何となく物騒な、ものものしい雰囲気が出てるのでは、と思う人もいるかもしれませんが、現在の松森焔硝蔵跡を目の当たりにするとそのようなことはありません。正直、この場所が、と首をかしげる人のほうが多いと思います。雑草が生い茂り、手入れもされていないただの奇妙な空き地です。周りは本当に住宅地ばかりですから事実を知らない人は、面白い形だな、くらいにしか思わないはずです。しかし、事実を知った上でこの場所に入ると、現代にいながらにして仙台藩の情緒を味わえると思います。それは歴史を感じるというとても面白いことではないでしょうか。
 私が言いたいのは、身の回りにあるものは全て歴史の上に成り立っているということです。道路、住宅、公園など一見すればありふれた気にもとめないほどのものも、歴史的背景があるのです。そしてその歴史に目を向けることで私達は意外な事実、新しい発見をする訳です。それは私達の暮らしをより楽しませてくれるはずです。
 今回の課題で、違った角度で物事を見る大切さに気づかされました。暇を見つけては身の回りの面白いものを発見していきたいと思います。

1年K.I.