セアル先生を偲んで グリークラブOB合唱団コンサート
2015年12月03日
11月28日、土曜日の午後、遠くは関東圏からの来訪も合わせ300名を超える聴衆が詰めかけ、東北学院大学グリークラブOB合唱団のコンサートが開催されました。このコンサートは、平成24(2012)年11月22日に天に召された亡きビクター・C・セアル先生の没後3年にあたりOBが声を掛け合い「われらの恩師・セアル先生を偲んで」と題して実現しました。披露された楽曲はすべてセアル先生が編曲されたものでした。
セアル先生は、戦後まもなく来日され、横浜海浜教会他、各地の教会で合唱団やオーケストラを指導された後、東北学院大学の音楽専任教師となられ男声合唱団のグリークラブを指導、指揮者として活躍しました。昭和31(1956)年10月に落成した、鉄筋コンクリート2階建て延べ101坪の音楽研究室棟(現・音楽館)は、セアル先生の尽力により、国際伝道局からの援助18,000ドルをもとに、総工費約760万円を費やして完成したものです。
昭和20年代~30年代半ばにかけて毎日、礼拝の時間に土樋の本学礼拝堂でパイプオルガンを演奏される同先生のお姿を記憶されている同窓生も多いといいます。
今回はセアル先生がいつもパイプオルガンを奏でていたラーハウザー記念東北学院礼拝堂でのコンサートとあって、先生の教え子から東京時代の教え子・関係者多数が家族とともに訪れました。
定刻、男声合唱団ならではの迫力あるコーラスで「校歌」が歌われました。そして始まった第一部ではレクイエムと讃歌、第二部では誰もが知っている童謡をセアル先生のアレンジで披露。耳になじんでいる童謡ですがアレンジによって新鮮な響きとなって届きます。休憩後の第三部は黒人霊歌9曲を一気に歌い上げグリークラブOB合唱団のコンサートは大喝采のうちに幕を閉じました。
来場者は、全てのプログラム終了後、客席のOBも加わり、セアル先生が大好きだった「Swing Low Sweet Chariot」で送り出されました。礼拝堂の外では久しぶりに会ったOB同士が語り合い、名残り惜しそうに記念写真を撮っていました。
来場者、OB・現役による合唱団、関係者を含め400名を超す参加者のセアル先生への思いが込められた感動的なコンサートでした。
Victor Clark Searle 先生のプロフィール
1929年 | アメリカ オクラホマ州生まれ。 | |
1945年 | ピッツバーグ・ジュニアシンフォニー指揮者としてデビュー。 | |
1948年 | 来日。横浜第八軍中央協会聖歌隊指揮者およびオルガニストに就任。 NHK主催「バッハ生誕二百年祭」でパイプオルガンの演奏を放送する。 |
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1954年 | 東北学院大学音楽専任講師、東北学院大学グリークラブ指揮者となる。 同時に仙台アメリカ文化センター オーケストラ・コーラスを創立。 |
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1957年 | ウェストミンスター合唱大学学長 J.F,ウィリアムソンの招きで帰国。 |
1958年 | 再来日してA.C.C歌劇団を創設。オペラ活動を付続ける。米国演奏家名誉協会パイ・カツバラングダー賞を受賞し、名誉会員にえらばれ、米国国防相から「アメリカ音楽普及のための努力」に対して表彰。 | |
1959年 | 以後、東フィル、二期会などと共演。東北学院大学グリークラブの定期演奏会、東北・北海道演奏旅行に指揮者として参加。依頼30年にわたり、常任・客演指 揮をつとめる。その他教育者として上野学園・武蔵野音楽大・昭和音楽大で教鞭をとり、日大芸術学部でパイプオルガンを指導。 | |
2002年 | 東北学院大学グリークラブ東京OB合唱団の指揮者となる。以後11年にわたり、発声法・音楽理論を指導し、グリークラブのために作曲・編曲した数々の楽曲を中心に指導。 | |
2012年 | 11月22日、南陽園(東京都杉並区)にて逝去。享年83歳。葬儀は12月1日、グリークラブOB合唱団、および音楽家として活躍している多くの教え子が 全国から駆けつけ、「音楽葬」として東京杉並の日本基督教団「荻窪教会」において小海基牧師(本学卒業)の司式によって執り行われた。 |