秋学期講義を開始

9月8日(金)から後期の学期が始まりました。キャンパスも学生たちでまた賑わっています。これより少し早く、AO入試の前期日程も行われました。仙台だけでなく郡山市などから、中学生・高校生の大学訪問が毎日のように行われます。大学礼拝に出席してくれる学校もあります。学生食堂の一角に制服姿の中高生が座席を占めているのも微笑ましい光景です。青葉(せいよう)学園短大学生がインターンシップでお手伝いなどしてくれたり、キャンパスの住民が多彩になって楽しいことです。

さて私は文学部歴史学科の古代ローマ史の授業を、3,4年生対象に後期一コマ開講しています。今年も8日に第一回を行いました。25名ほどの出席でした。今年のテーマと最初の授業概要は次の通りです。

東北学院大学 2017年度後期 ヨーロッパ・アメリカ史の諸問題

「初期キリスト教徒とローマ皇帝」 2017.9.8松本 宣郎         

序 本講義の内容

キリスト教はローマ帝国盛期1世紀の東方属州に出現し、帝国の都市を中心に徐々に広まった。帝国に君臨していたのは元首(皇帝)である。キリスト教徒は帝国都市民として皇帝を仰いで生きていた。本講は代々のローマ皇帝がどのようにキリスト教徒を認識し、対策をとったか、を考察する。あわせて、主題の舞台であるローマ帝国の歴史についても、「元首」「都市」などのローマ帝国史を理解する上で重要となるキーワードを説明するとともに、キリスト教徒が生きたローマ帝国社会の状況をも略述する。

 1 ローマ帝国の元首(皇帝) ローマは、伝説上前509年,専制的な王を追放して共和政に移行した。以来、支配権を握るのは貴族的な有力元老院議員集団であり、彼らは一貫して独裁者の出現を拒み続けた 。大スキピオのように敵カルタゴを打倒して人気を高めた有力者に対してはこれを政界から引きずり下ろす力が働いた。その一方で、有力元老院議員たちは、戦争などで手柄を立て、ローマ市で凱旋式を挙行して市民の喝采を受け、さらに高位の役職を歴任して独裁的な指導者になりたいという野望を抱いてもいた。

 前2世紀、ローマが地中海大の帝国となってゆき、支配領域が広大となり、侵略戦争と反乱が休みなく続く状況となる。軍隊を巧みに用いて勝利する将軍がローマには必要となり、実際にそのような将軍たちが輩出した。マリウス、スルラ、ポンペイウス、そしてカエサルたちである。

 これら将軍たちは、戦争を口実として以前の将軍よりも大きな権力を一時的ではあれ元老院と民会によって付与されるようになった。広大な領域での軍隊指揮権や占領地からの徴税・略奪・兵士への戦利品や土地の分配などである。加えて彼らは将軍の資格であるコンスル・プラエトルなど、民会で選挙される原則任期1年の公職への連年就任をも認められた。

 かくして前1世紀のローマは、支配権拡大の侵略戦争が続く中、勝利による栄誉、それに基づくローマ市民の間での尊敬・人気・政治的支持を得ようと狂奔する有力者たちの抗争が激化し、ついには内乱を招いたのである。

 まずカエサルがポンペイウスを降して一時的に独裁政治を現出させた。彼が行った政治制度の改革や属州の支配、元老院や市民への対策、これに対して元老院などのローマ市民団、また属州民のカエサルへの崇敬や感謝、あるいは敵意の感情は、「皇帝」に対するそれを実質的に示していた。

 前44年カエサルは、共和政に執着する勢力によって暗殺された。それ以後の10年、最後の内乱がイタリアからエジプトにかけての東地中海で戦われ、オクタウィアヌスが勝利し、ローマ帝国唯一の支配者、独裁者となった。全軍隊・艦隊を手中に収め、軍事指揮権・行政の最高権限すべてを押さえたのである。コンスルにも連年就任した。 そして全イタリア、つまりローマ市民全体が彼に忠誠の誓いをなしていた。オクタウィアヌスは実質的な王位、君主の地位を手にしていた。

 しかし彼は決して独裁君主への志向を示さなかった。カエサルは独裁官の地位を続け、君主政への傾きは明らかだった。そのカエサルは共和政支持者たちによって倒された。

 このようなローマ的伝統の強さをオクタウィアヌスは実感していたのである。

 オクタウィアヌスの統治は、共和政の外見をとった独裁制、と言えた。彼自身が自ら「王」を称することはなく、「元老院の、あるいは国家の“第一人者”princeps」と呼ぶことを好んだ。これ自体は共和政期からあった呼び方であり、一般に抵抗感を与えるものではなかった。-以下略